美術家の言葉 red05_next.gif インスタレーション周辺>イリヤ・カバコフ


  

  

トップページ/ピースフルアートランドびそう

美術家DATA 目次

美術家の言葉 目次

ism(美術運動)の証言 目次

絵画の制作技法・構造と効果 目次

 

カバコフが、インスタレーションへと向かった動機ともいうべきものとして…

「我々の時代、認められていないアーティストたちに未来はなかった。なぜならソビエトの権力は1万年続き、何も変化は起こらないと信じ込まされていたからだ。絵画は私にとって、家族に囲まれて暮らしている年老いたおばあさんのようなものだ。彼女は長い間、気が狂っていた。尿や便をもらすが、家族の誰もが彼女との接し方、話し方を心得ていた。彼女がすることに驚く者は誰もいない。だが、インスタレーションとなると、まったく違う状況になる。インスタレーションは、生まれたばかりの小さな女の子のようで、どのように育っていくか誰にも見当がつかない。私はまだソビエトの世界とつながっていて、頭のなかはそのことでいっぱいだ。最も重要なのは、アイデアが浮かんでくる世界。そして、私のアイデアが描き出す現実は、ソビエトの世界なのだ。私の作品には多くの場合、憎悪と恐怖が存在する。そしてそれらは今日もそこにある」 ※1

 

カバコフにとっての作品を創作することの意義のひとつとして…

「私たちの目的、課題はそれを詳しく記述し分析することではありません。私たちが差し出している作品(もちろん私たちの作品についても他の一連のプロジェクトと同じように接しなければなりませんが)の意味は、『世界を変革し改善する』というひとつの主要な特性をもつアイデアと提案の数々に目を向けていただくことにあるのです。それが他の『遠い』人たちに、あるいは個々の人とその『身近な人たち』に関係があるかどうかは重要なことではありません。

この種のプロジェクトのいずれにも、自由という理念、社会の可能性または個人の可能性を拡大するという理念(イデア)があり、これらのプロジェクトは、どんなに非現実的でユートピア的なものに見えようと、そこに託された夢と希望によって、たえずそこに立ち戻り、分析し検討するにふさわしいものとなっているのです」  ※2

 

インスタレーション『プロジェクト宮殿』の解説として、また、カバコフが作品に託す想いを現わすものとして…

「このインスタレーションが展示し検証しているのは、『この世界は、実現された計画、なかば実現された計画、まったく実現されていない計画など、おびただしい計画の数々で構成されている』という、おそらく誰もが知っていて、どうでもいいようにも思える真実です。(中略)

しかし私は確信しています。人間らしい価値ある人生をおくる唯一の手段とは自分自身のプロジェクトを持つことであり、それを考え出して実現しようとすることなのだと。私がこのインスタレーションで掲げ示そうとしているのもまさにこのことなのです」 ※3

  

カバコフの作品全般に潜むコンセプチュアルな思考の代表的なモデルとなるものとして…(数多くつくられた“ゴミ”のインスターレーションを中心に)

「そこでは、膨大な書類の海となって彼の目の前にあるものは、例外なく貴重なものと見なされるか、あるいは破棄されるかだ、ということになる。こうした動揺のなかで選択は極度に辛いものとなる。すべてが貴重で重要だというのは、とどまった書類を見直して仕分けしたことのある者ならだれでも知っている素朴な感情である−−それは、これらの書類ひとつひとつに結びついた、ありとあらゆる出来事の思い出である。書類というこうした印や証人を失ってしまうことは、自分の思い出をいくらか失ってしまうことでもある。私たちの記憶の領野では、何もかもが同じように貴く意義あるものとなる(中略)

これらをすべて失うことは、私たちが過去にそうだったものと離別すること、その意味で部分的にもう存在しなくなることを意味する。

だが、もう一方で、素朴なる常識は私たちに、重要な書類、記念の葉書、心に残る手紙を除けば、残りは何の価値も持っていないまったくの紙屑だと密かに告げる。というのもこの紙屑の山はすべて、かつて支払いをした領収書、古い映画の券や鉄道の切符、もらったり買ったりした複製画、ずいぶん前に読んだ雑誌や新聞、やるべきことを書いたメモ−−実行したにしろ何もしなかったにしろ、どのみともうやり直しようのないものだ。しかし、私たちの書類に第三者敵にそそがれる視線はどこから来るのか。どうして私たちは、この第三者的視線と一体化し、この視線にしたがって、これらの物が必要かそうでないかを決めなければならないのか。なぜ私たちは、現在から自分の過去を眺めて、それを自分のものとみなさかったり、さらにひどいことに、それを無視したりあざ笑ったりしなければならないのか。

そう。だが、私の人生を第三者敵に傍観する機会や権利を持つ者などだれがいよう。かりにこの他者が私自身だとしても、それはこの古い書類に目を通す時だけ、この瞬間だけのことではないか。どうして常識は、今となっては滑稽で不必要にしか見えない、これらの紙切れに結びついた私の思い出より、私の人生のあらゆる点より強力でなければならないのか」 ※4 

「けれど疑いなく、ゴミの概念に対立する何かが存在する−−さもなければ、私たちはたんに、ゴミが何であるのかさえ知らなかっただろうからね。私は、この対立する概念とは『宝』だと思う」「とりわけスルタン博物館を訪れたのだけれど、その宮殿の陳列ケースに展示されていたのは『宝物』といわれるものだった。私にとってこれは、ゴミにたいする理想的な対立物なんだ。なぜなら、この宝物−−ダイヤをちりばめた剣や、その他の生活用品−−のなかには、『非消失』のイデー、すなわち、その物自体が持つ何らかの非常に特別な価値のおかけで消失することがあり得ない物品、という観念が保たれている」※5

「驚くべきなのは、現在、芸術においてゴミが宝物と偽られ−−実のところ宝物となっていることだ。美術館に展示され、書物に掲載され検討されると、ゴミは宝物として登場する。 古文書においてのみゴミは芸術作品になる」 ※6 

 「私が感じるのは、私が膨大な数の物にかかわりを持ち、また膨大な数の品々が、私にかかわりつつ、私の生を通過していくということだ」 ※7  

 


 

 

  

 

 

 

green07_next.gif イリヤ・カバコフの「美術家DATA」

< おススメの1冊 >

『イリヤ・カバコフの芸術』 編著:沼野充義 発行:五柳書院 1999 

これまでのカバコフ作品の全容がわかる1冊。現代美術における極めて正統派?の思考方法がわかります

 イリヤ・カバコフ関連の書籍

 

美術家の言葉の引用先・流用先文献

※1 『THE NOW ART BOOK』 監修:ヴァルデマー・ヤヌシャック テキスト:セリア・リッテルトン企画編集:資生堂企業文化部ザ・ギンザアートスペース『ル・ミレニュム』編集部 平山景子、豊田佳子、深井さえ子 発行:光琳社出版 1996

 ※2 『イリヤ・カバコフの芸術』 編著:沼野充義 発行:五柳書院 1999 p45-46

※3 同上 p52 ※4 同上p188―189

※5 同上199―200 ※6 同上208 ※7 同上p201