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美術家の言葉 |
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■ジャッドが常に幾何学的形態を使用して作品を生み出す理由として… 「すべての芸術は有機的だが、幾何学形体はそうではないところに、主要な効力がある。幾何学的でも有機的でもない形があればそれは大発見だろう」 (Lucy R. Lippard, “Homage to the square”, Art in America , July-August 1967, p.56 ※5 「私は発展とか変化の意識はさほどもってはいない。私は行きつ戻りつ仕事をするのが好きなのだ」(Don Judd:An Interview by john Coplans, in John Coplans, Don Judd,Pasadena interview,1971 p.44)※6
■ジャッドが作品制作のうえで重要視していることのひとつとして… 「全体としてのもの、その全体としての性質こそが興味ある対象なのだ。肝心なのは、固有の形式構成や形体のヴァリエーション、穏やかなコントラスト、そしてパーツやエリアの結びつきなどによって、効果を弱められていないということなのだ」 Dunald Judd,"Specific Objests",Arts Yearbook 8(1965) reprinted in American Artists on Art(1982),p.108 ※1
■構図的構造を破棄した作品を制作する理由ともなるもの… 「そこにはヨーロッパの全伝統のすべての構造、価値、感情が貼り付いている。みんな下水に流しても、僕は平気だ」 ※3
■ジャッドの作品が、いかにその周囲の空間要素とも関連しているかを示すものとして… 「作品の制作とは別に、ニューヨークの19丁目のロフトから開始して、私が18年間ほどやってきた努力はといえば、できるだけ多くの作品を永久的に設置するということであって、そのなかには自分以外のアーティストの作品も同様に含まれていたのである。その主な理由は、そうすることで作品とともに生き、それについて考えることができるということであり、さらには、作品が本来あるべきところに設置させるのを見ることができるということである」 ※7
■ジャッドにとっての“アーティスト”の責任とはどのようなものであるかを現わすひとつのものとして… 「社会がどれほどの悪に汚されていようとも、新たなアーティストたちは必ず登場しなければならない。それは彼らにとって責務である。時代や社会が悪いというのはなんの理由にもなりはしない。おそらく時代や社会がよかったことはいまだかって一度もないのだろうし、問題は、つねにそれが悪すぎたかあるいはいくらかましだったかという程度なのだ。なにもしない人間たちがもちだす理由づけは、いつでも必ず間違っている。そして先行世代のアーティストには、高い水準を維持していく責任がある」 (Donald Judd,A.A,84,Sept)※4
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<ドナルド・ジャッド関連の書籍>
美術家の言葉の引用先、流用先原典 ※1 篠田達美 「ウォーホルとミニマル・アート」 『WORHOL & POST WORHOL ウォーホルの世界』 編集:雲野良平 発行:美術出版社 1990 p63 ※3 『 コンセプチュアル・アート 岩波世界の美術 』 著:トニー・ゴドフリー 訳:木幡和枝 発行:岩波書店 2001 p111 ※4 >『現代美術 ウォーホル以後』 編:美術手帖編集部 発行:美術出版社 1990 p249 ※5 ウィリアム・C・アギー 「単位・連作・場=ジャッド辞典」 訳:星井博子 『美術手帖1978年4月号 特集:沈黙と饒舌の構図 ジャッドの箱とコーネルの箱』 発行:美術出版社 p81 ※6 同上p66 ※7 『ニューヨーク・アーティスト50人』 著:リチャード・マーシャル 訳:木島俊介 発行:同朋舎出版 1992 p60
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