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美術家の言葉>形而上絵画>ジョルジュ・デ・キリコ |
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■デ・キリコが目指した形而上絵画とは何か、を表すものとして… 「未来の絵画の目的とは何か。それは詩、音楽、哲学にあっても同じである。これまで未知であった感覚を創りだすこと、美的総合のために、日常的なもの、かつ一般に容認されているもののすべて、さらにあらゆる主題から芸術を解き放つこと、人間を象徴と感情と思考の表現のための仲介者、あるいはそのための手段にきびしく抑制すること、彫刻をいつも拘束している擬人論から決定的に解放すること、あらゆるものを、人間でさえも「物」の質においてとらえることである。 これがニーチェの方法である。絵画に適用されれば、すばらしい結果を生むことだろう。わたしが絵画で示そうとしているものはこれである」 著作『ある画家の瞑想』1912 ※2
「およそ真剣な芸術作品には、必ず二種の孤独が含まれている」「巧みな構成と形態結合から生じる瞑想的な静けさ」『造形的孤独』 ※3
■自身が影響を受けた作品とそこにキリコが“見た”ものについて… 「私はまだ17歳だったが、その頃すでに、ベックリーン、クリンガー、セガンティー二、プレヴィアーティの芸術の深遠さと形而上的内容を、現在の私が理解しているのと同じ程度に理解していた。絵画としての質は別として、彼らはいずれも、詩的なもの、不思議なもの、奇妙なもの、驚くべきものを表現していたのである」 ※6
■作品の中になぜ“日常的にある物”が描かれるのかを解読する上でヒントになるキリコの体験について… 「ベッド、ガラスのついたタンス、肘掛け椅子や机をふだん見慣れてない背景の真ん中や街のなかで見ると、それらが奇異な様相をもって現れることにしばしば気付かされた。……家具はそのとき新たな光のもとでわれわれの前に現れた。家具は不思議な静寂をまとい、それにのあいだには親密な関係が生まれた」 ※7
■形而上絵画から1925年に転向するきっかけとなったものと、その後に作品を見るにあたって注目してみたいものについて… 「ある日の午前、ティツィアーノの絵の前で、私は偉大な絵画とは何であるかを啓示された。…自分の中に何か途方もないものが生まれてきたのが分かった。その時までの私は、イタリア、フランス、ドイツの美術館で巨匠たちの絵を見ながら、そこに誰もが見るようなことしか見ていなかった。つまり、“描かれたイメージ”しか見ていなかったのである」 『わが生涯の回想』1945 より ※4 「これら二種の喜び、二種の幸福、すなわちある作品の詩的で形而上的な面を見かつ理解することと、それの(絵画的マチエールの)質の面を見かつ理解することとを比較するとき、後者の喜びと幸福の方がはるかに深く、はるかに完全であると私は感じる。これもまた、妻イザベッラ・ファールが発見したことだった。彼女はこう書いている−《啓示を旨とする芸術作品を見て得られる喜びはたしかに大きい。けれども、それは不完全な喜びである》−と」 『わが生涯の回想』1945 より ※5
■自作のイメージとなったもののひとつ… 「太陽はおそろしく美しかった。 正確な幾何学的な影。 深い空を背に、風が大きな赤い塔の多彩な旗をひらめかせた。なごやかな赤だ。塔の上では小粒のような黒色が動いた。彼らは正午の祝砲のために待機している砲手たちだった。 ついに十二時になった。厳粛。憂愁。太陽が天の弧の中心に達したとき、新しい時計が町の鉄道駅に献呈された。みんなが泣いた。汽車が激しく汽笛を鳴らして通った。祝砲が轟いた。ああ、それはみごとに美しかった」 『ある休暇』 ※1
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<デ・キリコ関連書籍>
美術家の言葉の流用・引用先文献 ※1〜3 高見堅志郎 「キリコの眩暈」 『美術手帖 1979年2月号』 緊急特集・追悼=キリコ 発行:美術出版社 ※4〜5 峯村敏明 「到着と出発の間の絵画、または巷の心理学」 『美術手帖 1979年2月号』 緊急特集・追悼=キリコ 発行:美術出版社 ※6 「世紀末ヨーロッパ 象徴派展」 監修:カトリーヌ・クロエス、フランソワ・ドールト、木島俊介 発行:東京新聞 1996 p.124 ※7 『岩波世界の巨匠 マグリット』 著:ユベール・アダッド 訳:山梨俊夫、長門佐季 発行:岩波書店 1996 p23
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