Jackson Pollock


  

  ジャクソン・ポロック


  

 

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美術家の言葉 目次

ism(美術運動)の証言 目次

絵画の制作技法・構造と効果 目次

 

経歴

1912 アメリカのワイオミング州コディに石工、セメント工の家庭に生まれる。後にカルフォルニア州に移住。

高校を退学し、手工芸高校に入学するも退学処分を受け、測量や道路建設の仕事を行う。手工芸高校に復学も再度放校処分。

1930 アート・ステューデンツ・リーグのトーマス・ハート・ベントンのクラスに登録。翌年奨学金を受け授業に出席。夏は伐木で働く。

1932 この頃リトグラフ作品を制作。後に印刷される

1935 ブルックリン美術館で開催されたグループ展にはじめて参加。緊急救済局に石切工として雇われた後、雇用促進局・連邦美術計画の壁画部門に翌年まで就職。翌年には画架部門で定職を得、43年まで務める。

1937 アルコール中毒となり、精神科の通院が始まる。

1939 ユング派の医師による精神分析治療が開始され、治療用として内面に浮かぶもののデッサンを描く。

1941 治療は続けていたが、マクミラン画廊での展覧会(翌年)の出品。

1943 プロジェクトが終了し、職もなくなる。ネクタイの図案や口紅の装飾の仕事なども行う。非具象絵画美術館の門衛として働き、画廊主ペギー・グッゲンハイムと知り合う。ロバート・マザウェルとともにコラージュ作品を制作し、展覧会に出品。グッゲンハイムと契約し、初の個展を開催。

1944 NY近代美術館が作品を購入。

1945 ロング・アイランドのスプリングスに農家を購入。リー・クラスナーと結婚し移り住む。

1946 NYホイットニー美術館の「現代のアメリカ絵画年次展」に参加。オールオーヴァー作品を描きはじめる。

1947頃 ドリッピング手法を生み出す

1948 ヴェネツィア・ビエンナーレに参加。

1950 ハンス・ネイムスが制作現場を映画撮影

1951 サンパウロ・ビエンナーレに参加

1952 ベニントン・カレッジで初の回顧展

1956 自動車事故により死去

 

 

 

  

 

<国内で見られる主な絵画・所蔵品>

●国立西洋美術館

制作年

黒い流れ

1951

●川村記念美術館

 

緑、黒、黄褐色のコンポジション

 

●原美術館

 1951

黒、白、茶 ※原美術館のHPで画像を見れます

1952

●セゾン現代美術館

 

ナンバー9

1950

●大原美術館

 

ブルー−白鯨

1946

カット・アウト

1948-50

●富山県立近代美術館

 

無題

1946

●滋賀県立美術館

 

エングレーヴィングとドライポイントによる版画複数あり

 

●直島コンテンポラリー・アート・ミュージアム

 

黒と白の連続

1950

 

  

 

より理解のために

green07_next.gif ポロックの「美術家の言葉」

green07_next.gif ポロックの「絵画の制作技法・構造と効果」

 

 アメリカ絵画の“伝説的ヒーロー”といったらポロックしかいません。その経歴やスタイルまでもが注目されていました。床にキャンバスをひろげ、ジーパンをはき、煙草をくゆらしながらペンキなどの顔料を無造作(に見えるテクニックで)描いていく。そしてヨーロッパ中心の美術界を一気にひっくり返した。ヒーローとはそういうものです。

 

 

 参考文献

『モダン・マスターズ・シリーズ 日本語版 ジャクスン・ポロック』 エリザベス・フランク著 石崎浩一郎、谷川薫 訳 美術出版社、アベヴィル・プレス共同出版 1989

「La Collection ポンピドー・コレクション展カタログ」編集発行:東京都現代美術館、朝日新聞社、テレビ朝日 1997

「国立西洋美術館所蔵品カタログ 絵画 彫刻」発行:国立西洋美術館 平成9年

「川村記念美術館図録」発行:川村記念美術館 1995

「滋賀県立近代美術館名品選 現代美術」発行:滋賀県立近代美術館 平成6年

「COLLECTIONT」発行:富山県立近代美術館

 原美術館ホームページ ARTabase