|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Yves Klein |
|
イヴ・クライン |
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
経歴 1928 ニースで芸術家の家庭に生まれる。幼少時より絵画に親しみ、また柔道を習う。20歳のときに、薔薇十字会に入会。空気、水、火、土の四大要素を基礎にした神秘主義的な教義。それが後の制作活動に大きな影響を与えていく 1952 来日し、講道館で柔道を学ぶ。四段位を取得。日仏学院でフランス語を教える 1954 スペイン柔道協会創立のため、役員とともにマドリッドへ。同地で画集を出版 1955 サロン・デ・レアリテ・ヌーヴェルにオレンジ一色の作品を出品申請するが拒否される。ティンゲリーと出会う。 1956 パリのコレット・アランディ画廊で個展を開催。ティンゲリーとともに「アヴァンギャルド・アート・フェスティバル」に参加 1957 インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)と呼ばれる濃いウルトラマリンブルーを生み出し、青の時代がはじまる 最初のスポンジ彫刻の制作、「気球彫刻」として大量の青い風船を放つ行為などを行う 1958 イリス・クレール画廊で「第一物質の状態における感性を絵画的感性へと安定させる特殊化」展を開催 1959 建築家ヴェルナー・ルナーウと共同で空気送風によって成立する建築、都市計画などを構想し、ソルボンヌ大学で講演 1960 物理的現象や自然現象をカンヴァスにとどめる『人体測定』(アントロポメトリー)『コスモゴニー』シリーズの制作をはじめる。 ヌーヴォー・レアリスムの宣言を行い、ティンゲリーらが署名 パリの国際現代美術画廊において『人体測定』のパフォーマンス。(20名の演奏家が単音シンフォニーを演奏するなか、タキシード姿のクラインが3人のヌードモデルに指示を与え、モデルたちは青の色の顔料を体に塗ってカンヴァスに体を押しつける) 1日だけの新聞「ディマンシュ」紙を発行。高い塀から身をなげた『クライン空を飛ぶ』(空中浮遊)の写真を掲載 1961 《火の彫刻》のほか、《火の絵画》を制作 西ドイツのハウス・ランゲ美術館で回顧展、NYのレオ・キャステリ画廊で「単色者イブ・クライン」展、ローマで個展。 レスタニーの第二回のヌーヴォー・レアリスト宣言が行われ、ダダの後継者であるという主旨に、クラインは脱退を表明 1962 結婚 パフォーマンス「非物質的絵画的感性帯の譲渡」(セーヌ川の岸辺に集まった人たちに非物質的絵画的感性の領域を金塊または金箔と交換。領収書を発行。金は自然に帰すとして川に投げ込まれ、領収書は焼いた パフォーマンス『墓−空間ここに眠る』(青い海綿の冠を載せた作品の下に身を横たわらせる) 同年、死去
|
|
<国内で見られる主な絵画・所蔵品>
|
|
より理解のために デュシャン、ボイスと並んだ前衛美術の最重要人物だろうと私は勝手に判断します。 その理由はクラインが行った行為・作品は、後の現代美術の諸要素をふんだんに含んでいたこと、そして多くの影響、いやその後の美術の展開における選択肢の幅を広げたという意味において(ボイスが登場するのはクラインの死後直後くらいですし)。 記録上で見ても、人をくったような行為やそこから誕生した作品群は、一貫性がないように見えて、あるひとつの宗教的な思想の具現化でもあった、と今日では解釈されています <イヴ・クライン関連書籍>
参考文献 「イブ・クライン展図録」 編集・発行:財団法人高輪美術館、滋賀県立近代美術館、いわき市立美術館、西武美術館、朝日新聞社 1985 「La Collection ポンピドー・コレクション展カタログ」編集発行:東京都現代美術館、朝日新聞社、テレビ朝日 1997 「美術手帖 1985年10月号 特集 パフォーマンス」 発行:美術出版社 原美術館 HP ARTabase 東京都現代美術館1995年所蔵品目録 大原美術館 所蔵品 西洋の絵画と彫刻 HP 直島コンテンポラリー・アート・ミュージアム HP館内ガイド |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||