Vincent van Gogh


  

  ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ


  

  

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美術家DATA 目次

美術家DATA 後期印象派目次

ism(美術運動)の証言 目次

絵画の制作技法・構造と効果 目次

経歴

 1853 フロート・ズンデルトで牧師の家庭に生まれる。中学校を中退して帰郷。美術商グーピル商会のハーグ支店に就職

1873 グーピル商会のロンドン支店勤務を命じられ、パリを経てロンドンへ。下宿先の娘ユジェニーに恋するが失恋

1874 失恋のために生活に変調をきたし、翌年、パリの本店に勤務。しかし、勤務態度が良くなく、支配人や店員と関係悪化

1876 グーピル商会を辞職。実家へ戻る。フランス語やドイツ語を教えたり、メソジスト派の補助説教師となるが、うまくいかず

1877 書店勤めも長く続かず。神学を学ぶため、大学受験の勉強を行うが、翌年、大学入学を断念する。

1878 ブリュッセルの伝道師養成学校で3ヶ月間学ぶも資格を得られず

1879 6ヶ月間の伝道活動を認可されるが、更新ならず。貧困の中、炭坑夫たちと生活

1880 画家になる決意。ブリュッセルのアカデミーで解剖学と遠近法を学ぶ

1882 従兄の画家アントン・マウフェに就いて本格的に画業開始。しかし、子持ちの娼婦シーンと知り合い同棲を始めたことで、次第に疎遠に

1883 シーンと別れ、オランダの東北部ドレンテへ。しかし、孤独と弟テオからの仕送りが滞り、帰郷。

1884 隣家のマルホと恋愛も両家家族の反対で破局。マルホは自殺を図る

1885 モデルとしていた農家の娘の妊娠問題でアントワープへ。オランダに戻ることはなくなる

1886 グーピル商会で働いている弟テオのアパートに転がり込む。モンマルトルのアトリエに通い、ロートレックらと知り合う。また印象派を知り、次第に色彩に変化が生じていく

1888 パリの喧噪を逃れ、南仏のアルルへ。ラマルティーヌ広場に「黄色い家」をアトリエ兼住居として賃貸。ゴッホとしての独自の画業に到達。

ゴーギャンが到着し共同生活をはじめるが、すぐに確執。耳の下部を切り取り病院に収容。ゴーギャン決別

1889 サン=レミの精神療養院に自ら入院。野外制作を許され、糸杉、麦畑などを主題とした作品を制作

1890 ブリュッセルの「レ・ヴァン(20人会)」展に作品が出品される。アンデパンダン展に10点出品。好評を得る。

療養院を去り、パリのテオを訪ねる。ピサロの推薦で医師ガシェの世話になる。拳銃自殺を図り、翌々日に死去。

同年、テオも精神不安定になり、翌年死去

 

 

 

  

 

 <国内で見られる主な絵画・所蔵品>

●損保ジャパン東郷青児美術館

制作年

ひまわり

1888

●国立西洋美術館

 

ばら

1889

●石橋財団ブリヂストン美術館

 

モンマルトルの風車

1886

●メナード美術館

 

一日の終り(ミレーによる)

1889

●ひろしま美術館

 

ドービニーの庭

1890

 

  

 

より理解のための

green07_next.gif ゴッホの「美術家の言葉」

ゴッホ関連の書籍

 

参考文献

『知の再発見 双書03 ゴッホ−−燃え上がる色彩』 著:パスカル・ボナフー 監修:嘉門安雄 発行:創元社 1990

『ゴッホ 自画像の告白』 画・文:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ 編・訳:木下長宏 発行:二玄社 1999

「クレラー=ミュラー美術館所蔵 ゴッホ展」 監修:木島俊介 編集:宮澤政男 発行:日本テレビ 1999