Joseph Beuys


  

  ヨーゼフ・ボイス


  

  

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美術家DATA フルクサス/ハプニング目次

美術家の言葉 目次

美術家の言葉 ヨーゼフ・ボイス

ism(美術運動)の証言 目次

経歴

 1921 オランダで粉屋を営む家庭に生まれる。その後、ドイツに移住。

1933 ヒトラーのナチス党が政権に。ヒトラー・ユーゲントに入る。中学校の最終試験に合格後、医科志望を変更し軍隊に入隊。スチューカ(単発複座急降下爆撃機)のパイロットに。

1943 JU87機操縦中、クリミア半島上空でロシア軍の砲撃を受け、墜落。

現地のタタール人の遊牧民が凍死寸前のボイスを見つけ、体にバターを塗り、フェルトで包み助けられる。

九死に一生をえたが、その後も終戦まで戦闘機に乗り続ける。

1945 イギリス軍の捕虜から故郷に戻る。

1947 デュッセンドルフ美術学校に入学。美術学校卒業後、彫刻家として立つ。後によき支持者となるファン・デア・クリンテン兄弟と知り合う。

1955 戦争体験の反動か精神的な衰弱に陥り制作ができなくなり、クラーネンブルクの農家で引きこもりなどを続ける。ファン・デア・クリンテン兄弟の母親の看病などもあり58年頃から好転。ドローイングなども制作し始める。

1958 使用する材料に独自のレパートリーを構築(フェルト、銅、木、脂肪、ろうなど)。それは自身が助けられたものでもある

1959 美術史家で教師のエヴァ・ヴルムバッハと結婚。

1961 デュッセルドルフ美術学校の彫刻家教授に任命される。

1962 パーフォーマンスやインスタレーションなどの“アクション”を開始。社会彫刻の理論の実践でもある

1964 ドクメンタVに参加

1965 デュッセルドルフのシュメーラ画廊でアクション《死んだウサギに絵を説明するには》。画廊の出入り口は閉鎖され、観客は画廊の外かのぞき込むことで、そのアクションを見る事ができた

1966 《グランドピアノのための等質浸潤》を制作。グランドピアノをフェルトで完全に内包し、故意に弾けない状態にする

1968 ドクメンタWに参加。《鉄の収納箱 百kgの脂肪と百本の自転車用空気ポンプを収めた半十字形の箱》

1971 テリー・フォックスとの反ヴェトナム戦争のアクションを行う

1972 アクション《カール・マルクス広場での清掃》《直接民主主義のための拳闘試合》。ドクメンタXに参加

1973 「創造と相互訓練のための国際自由大学」を設立。3tエディション(ゴムにシルクスクリーン/全ての作品の合計の重さが3tになる)シリーズを制作

1974 アメリカでアクション《コヨーテ 私はアメリカが好き、アメリカも私が好き》を行う。一匹のコヨーテと3日間画廊の中で暮らし、アクションを繰り広げる。ボイスは空港到着直後、フェルトで包まれて画廊に運ばれ、このアクションの場以外のアメリカを見ずに帰国する。

1976 ヴェネツッア・ビエンナーレ ドイツ館で《停車場》で参加

1977 ドクメンタYに血液循環をモチーフとした《ハニー・ポンプ》で参加。ミュンスター市の招きによる「彫刻プロジェクト・ミュンスター」に《獣脂 5つの要素からなる20tの脂肪彫刻》を出品。故意に汚い彫刻作品を展示

1978 カイザーリング展出品

1979 “政治を芸術に変える”ため、エコロジーの党、ディー・グリューネン(緑の党)の代表として総選挙に。“社会彫刻”という概念。サンパウロ・ビエンナーレ参加

1980 グッゲンハイム美術館で回顧展。ベルリンのナショナルギャラリーで個展

1982 ドクメンタ7に《七千本の樫の木》で参加。決められた本数の植樹が毎月行われる長期間のプロジェクトの予定であったが、それから柱状の岩を長さ300mにわたって乱雑に配置したもの。

また、アクション《ロシア皇帝冠を溶かす》では、黄金の冠を溶かして、純金のうさぎと太陽球を作る。ベルリンの「ツァイガイスト」展に《鹿の記念碑》で参加

1984 デュッセルドルフの「ここから」展出品

1985 ベルリン・ナショナルギャラリーの「西ドイツの美術 1945-1985」展に出品

1986 死去。1987までに「資本主義の打破」と「社会彫刻」の完成を行うと公言し、その前年の死去は…。

1988 ベルリンのグロピウス=バウで大規模回顧展

 

 

 

  

 

 <国内で見られる主な作品・所蔵品>

●カスヤの森現代美術館

制作年

黒板消し/フェルト

1971

直接民主主義のためのビラ

1973

POST/木

1974

ferrum/鉄

1975

汚染されたライン川の水

1981

エレメント/銅、鉄、板

1982

黄金へのニュース

ほか版画などあり

1985

●国立国際美術館

制作年

あるヒロインのためのバスタブ/ブロンズ、電熱器

1950-84

●ワタリウム美術館

 

フェルト・スーツ

1970

コンティニュイティ(連続性)

1984

●大原美術館

 

芸術は蚊である/ソフト・エッチング(四点組)

1981

●広島市現代美術館

 

無題

1984

 

 

  

 

より理解のための

green07_next.gif ヨーゼフ・ボイスの「美術家の言葉」

 

 現実の社会や日常習慣、思考に対して一貫した思想で行為し続けたボイス。

 自身が生きる時代を殴り、蹴飛ばし、抱擁する…その軌跡は今では記録となってしまいました。しかし、その記録は、現在でも新たな視点と解釈が見い出せる装置として有効に機能しているのではないでしょうか。

 ボイス関連の書籍

 

参考文献

 『美術手帖 1983年4月号 特集 ヨーゼフ・ボイス』 発行:美術出版社

インタビュー ローレイエン・ウェイヤース 訳:高島平吾 「ヨゼフ・ボイス=その生活と制作」 『美術手帖 1981.1』発行:美術出版社 p157

秋田由利 「ボイスのエコロジー」『現代美術 ウォーホル以降』発行:美術出版社 199

『現代美術』 著:クラウス・ホネス 発行:タッシェン 1992

『現代美術 ウォーホル以後』  編:美術手帖編集部 発行:美術出版社 1990 

「美術手帖1994年3月号 特集 展覧会戦国時代を面白くする美の仕掛け人たち キュレーターの仕事」 発行:美術出版社

「La Collection ポンピドー・コレクション展カタログ」編集発行:東京都現代美術館、朝日新聞社、テレビ朝日 1997

 『身体と表現 1920―1980 ポンピドゥー・センター所蔵作品から』 編集:東京国立近代美術館 市川政憲、千葉成夫、中林和雄 発行:NHK、NHKプロモーション 

 カスヤの森現代美術館ホームページ 常設展示室

 「美術手帖1982年10月号 特集:ドクメンタ7」 発行:美術出版社