哲学思想どうでしょうマンガ版 red05_next.gif ユングより 「私たちはユングの徒である」とジャクソン・ポロックは言った /フロイトとの違いを中心に

  

  

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哲学思想どうでしょう マンガ版 目次

はじめに……マンガは独立したストーリーですが、原典の著作内容にある程度リンクした部分があります。リンクしている部分には「※」をつけました。注の部分につきましては(興味のある方は)右側の注欄を参照してください。(マンガは幾つかの部分に分けて表示されるようにしてありますが、どれくらいの時間で表示されるかは皆さんがご覧になっている環境によって異なります。

※このページはユングの思想を解説するものではありません。ユングの思想に興味を持たれた方は著作の原典をお読みください

 マンガ/文:トビー高橋

 

 

 

 

 マンガ等:トビー高橋

 ユングの言葉よりPick UP

 「自然はどのような過ちも犯しません。正しいとか誤っているというのは人間のカテゴリーです自然の過程は、まさにあるがままでそれ以外の何ものでもありません。――ばかげたことでもないし、理屈に合わないこともありません。われわれが理解しないというのが事実なのです。私は神ではないし、非常に制約のある知的能力を持った人間なので、夢を理解していないと仮定した方が良いようです。この仮定から、夢が歪曲であるという偏見に満ちた見解を私は拒否します」 p134

 

  

 

 

 

 

 

今回私が引用、流用した原典は、

 著:ユング 『分析心理学』 訳:小川捷之 発行:みすず書房 1976

 

 

 

※1 まずは自我とは何か? 自我というと、壮大で途方もない広がりのものをついつい想定してしまいがちで、定義不能のようにも考えてしまいますが、ユングは簡潔に定義しています

「自我とは一体何なのでしょうか。自我とは、まず第一に自分の身体、つまり、自分の存在についての一般的な認識と、第二に、自己の記憶データ、これは長時間にわたる一連の記憶で自分が存在し続けているという確信を持つことなのですが、自我はこれらのものから成る資料の複合体なのです」 p25

 

 

 

 

※2 まったく想定していなかった攻撃?を受けた半田巡査。半田巡査はヤブ医者と愚痴をこぼしますが、ではヤブ医者という場合、私たちは何をもってヤブ医者と言うのでしょうか。ユングの場合は、狂気というものを取り上げて話しています。

 「狂気というのは全く相対的な概念なのです。例えば、黒人がある振る舞い方をした場合、「やっぱり黒人だ」と言いますが、もし白人が同じように振舞えば「あいつは狂っている」と言います。というのは、白人ならばそうはしないと考えられているからです。「狂っている」というのは社会的な概念です」 p60

 

 

 

 

 

 

 

※3 上司の部長と話をしながら、思いをめぐらす半田巡査。その思いはさまざまに沸きあがってきます。

 この注は以下のユングの件とは適切にリンクはしませんが、とりあえず、ここで皆さんに心理学においての両巨匠のユングとフロイトとの違いについて簡単に紹介しておきます。これはあくまでもユング自身がフロイトと自身とのスタンスの違いを明言しているものです。

 「例えばフロイトは感覚材料から意識を引き出してはいませんが、意識から無意識を引き出しています。これも同様の論理にしたがっています。

 私は逆に置き換えたいのです。明らかにはじめに来るものが無意識であり、意識はまさしく無意識の状態から生ずると言いたいのです。児童期のはじめは無意識の状態です。本能的な特質の最も重要な機能は無意識であり、意識はむしろ無意識の産物です。意識は大変な努力を必要とする状態なのです。意識状態が持続すると疲労します。意識によって消耗するからです」 p22

「フロイトはコンプレックスを究明しようとしますが、私はそうではありません。まさにここに違いがあるのです。私は無意識がコンプレックスについておこなっていることを明らかにしようとしています」 p132

「フロイトにとっての無意識とは、主として抑圧されたものを容れる容器なのです。彼はそれを子供部屋の隅から眺めているのです。私にとっての無意識は広大な歴史的な倉庫です。私もまた子供部屋をもっていることを認めますが、子供時代から私が感心をもっていた広大な歴史的な空間と比較すると、ちっぽけなものです」 p208

この後にもフロイトとユングの違いの幾つかがでてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※4と※5は、ユングの独特で非常に重要な見解を示しています。今でいえばDNAのデータにも関連することであり、私は個人的にこのユングの見解を支持しています。

※4 「意識という識閾を通して意識にに入り込んでくる無意識の産物には、二種類のものがあります。最初のものは、明らかに個人的起源の認められる材料が含まれており、これらの内容は、個人的に獲得されたものかあるいは性格全般をつくりあげている本能的衝動過程の産物です。そしてさらに、忘却されるか抑圧されている内容や、想像的な内容が存在します。…中略…

 私はこの段階に属する無意識の諸内容を、意識下の精神とか個人的無意識と呼びます。というのは、われわれが判断する限りでは、これらの内容はすべて個人的な要素、すなわち人間の性格全般を構成する要素からなっているからです。

※5 「もう一つの段階に属する無意識の諸内容がありますが、これらのものの起源は全くのところ不明か、もしくは個人的に獲得されたとは決して見なすことのできないものです。……中略…それは神話的な性格なのです。…中略…人類一般に属するもので、それ故、普遍的な性格を持っているのです」 p64

  「何百万という人は、人間が胸腺を持っているのを知りませんが持っています。彼らは、解剖学上のある部位では人間が魚類に属していることを知りませんが、事実はそうなのです。われわれの無意識の心は、身体と同じように、過去の遺物や記憶の貯蔵所です。無意識の普遍的な心の構造に関する研究は、比較解剖学と同じ発見をもたらします。…中略…普遍的無意識には何も神秘的なものはないのです。…中略…

 身体と同様、脳は歴史の痕跡を刻み込んでおります。心の基本的な構造へと分析を進めてゆくと、自ずと太古的な心の痕跡が見つけられます」 p68―69

 「無意識の心の探求によって到達できる最も深い層は、人がもはやひとりひとり独立した個人ではなくなる層であって、そこでは人間の心の領域が拡大され、人類の心の領域に併合されます。これは意識的なものではなく、人類の無意識の心であり、そこではわれわれはすべて同一なのです。身体には、解剖学的に、二つの眼と二つの耳と一つの心臓といった一致が存在し、ほんの僅かの個人的差異しかありません。心も同様に基本的なところは一致しております」 p70

「普遍的無意識に関しては、他の民族と同じで、彼らも眼や心臓や肝臓などを持っているように、われわれも同じ元型を持っているのです」 p78

 ということで、半田巡査も他国の人と同じ人間として、その共通性を活用しているというこじつけでした。

 

※6 これもユングとフロイトとの違いを示すもののひとつです。ユングのモデルを説明するものとしてやはり重要です。

「最初に、われわれは感覚すなわち、感覚機能を持っています。感覚によって、私はフランスの心理学者たちのいう「現実機能」を理解します。…中略…感覚は、何かがあることを教えます。それは、何であるかということは教えませんし、またそれ意外のことも教えません。ただ、何かがあるということだけを教えます。…中略…

 最も単純な思考の形態はものごとが何であるかを教えることです。…中略…感情は、感情的な色調を通して価値を伝えます。…中略…

 感覚はものごとがあることを教えてくれます。思考はそれが何であるかを教えてくれ、感情はどのような価値があるのかを教えてくれます。さて、他に何があるのでしょうか。何かが存在し、それが何であって、どのような価値があるのかがわかると、世界についての完全な像を持っていると考えがちです。しかし、別のカテゴリーがあります。それは時間です。…中略…

 これが直観と呼ばれるものです。つまり一種の予知であり、ある種の不思議な能力です。…中略…既成の価値基準ないしは既成概念のない未知の状況に対処しなければならないとき、人間はいつも直観的な能力に頼るのでしょう」p26―30

 モデルについては相当割愛していますので(幾つもの層がある)興味のある方は、原典をあたってください。ちなみに冒頭で紹介した原典は公演を書籍にしたものですので、心理学の知識が乏しい私などにも非常にわかりやすいものです。

 

※7 ユングのモデルの説明のひとつです。

 「皆様は感情や思考や四つの機能のどれをも自由に処理できないのです。「考えまい」とは誰もいえないのです。――どうしても考えてしまいます。「感じまい」とも言えません。――感じるのです。なぜなら、それぞれの機能に付与された特殊エネルギーが自らを表現するからで、相互に交換は不可能です。…中略…これは思考する時には感情を排除するという事実から来ています。…中略…なぜなら、これらの二つの異なった機能は矛盾し合っているからです」 p34―35

 また、ユングは次のようにもいっています。

「世界の重大な問題は思考によって解決されると信じている人が大勢います。しかし、いかなる真実も、四つのすべての機能なくしては確立されえないのです。世界を四つの機能のうちのひとつで把握すると、残り三つの機能はその人に対立したまま残るのです」 p92―93

 

※8

「われわれは、自分がこうであり、ああであり、また別のものであるといった発見を繰り返し、時折、仰天するような体験もします。このことは未だに無意識のままで、生成し続ける性格の部分が常に存在していることを示しています。われわれは未完成であり、成長と変化をし続けています」 p42

マンガとはうまくリンクしていませんが、こうした部分があると考えるだけで私なんかは嬉しくなります。

 

 

※9 俗に“キレる”という状況に対するユングのひとつの見解でもあります

「自我は暗黒なものから成る大洋に漂う意識の一片にすぎません。暗黒なものとは内的なもののことです。その内側には心的事象の層があり、自我のまわりに意識の縁のようなものを形成しています」 p41

 「内的な心の側に存在する第一の機能は記憶になります。…中略…われわれが記憶と呼んでいるものは無意識内容を再生する能力のことで…」p42

 「意識の諸機能の主観的構成要素」「身体は望みもしないものを創り出すきわめて疑わしい友人なのであり、身体に関しては触れられないことがあまりにもありすぎるのです。身体はしばしばよく現われる自我のこの影の部分の具現化なのです」 p42-43

 「これは情動と興奮が入ってくるところだからです。…中略…情動という言葉が意味するように、あなたはそれによって追い立てられ、投げ出されてしまい、穏やかな自我が脇に押しやられ、他の何ものかがとって代わるからです。…中略…彼はただとり憑かれたにすぎず、もはや自分が自分ではなく、実際には自己の制御がほとんどゼロのところにまで低減します。これは内的な側面がその人をとらえている状態であり、それを防ぐことはできません」 p44―45

 「私が侵入と呼ぶものです。ここでは影の側面、すなわち無意識の側面が意識の状態に押し入ることが可能なほど支配的な力を持っています」 p45

 

 

※10 ユングとフロイトとの違いのひとつです。

「フロイトは心的過程を静的なものとみなしていますが、私はそれを力動性や関係性を示す用語でもって話します。私にはあらゆることが相対的なのです。無意識的なものは明らかに存在しません。ただ、ある光の下で、意識にのぼらないだけのことなのです。なぜ、ある事柄がある状況では認識され、ほかの状況では認識されないのかということは、全く違った考え方を可能にします」 p101

※11 マンガとはうまくリンクしていませんが、とりあえずコンプレックスというものに対するユングの考えを紹介しておきます。

「コンプレックスは連想の凝集したものであり、多分に入り組んだ心理学的特質を有する一種の像のようなもので、時には、外傷的な特質を持ち、時には、ただ苦痛で、著しく調子の高い特質を有しています。高い調子のものはすべて取り扱いが困難です。…中略…

 強烈な感情価をもっているものはすべてその内容がどういうわけか、生理学的反応、つまり心臓の過程や血管の緊張、腸管の状態、呼吸、皮膚の神経支配と結びついているので取り扱いが困難です。…中略…

 私の体を刺激する何かが私の体に根を張っていて、私の神経を引っ張り始めるので簡単に押し出してしまえないからです。緊張や情動価のないものは、根をはっていないので、簡単に払い落とせます。どこにもひっかかっていないし、くっついてもいないからです」 p114―115