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制作技法・手法と効果 |
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象徴主義の代表的存在ともいわれるルドン。その作品はよく「幻想的」と称されます。ルドン自身は自身の手法をこう語っています。 「あり得ないものを、人間といったあり得る方法で生かし、見えるものの論理性を、見えないもののために役立てた」 ※ 池内紀 「影の博物誌」 『美術手帖 1980年4月号 特集 オディロン・ルドン=漆黒の色彩の彼岸』 発行:美術出版社 p102 “見えないもの”を追い求めたルドン。それは“幻想”といった世界からも一歩踏み出しています。ルドンが生きた時代とは、「神は死んだ!」と神殺しを敢行した偉大な思想家ニーチェが生きた時代。ルドンの思考がニーチェの思想と近いとは思いませんが、精神へ回帰する大きな方向性では一致しているのではないでしょうか。その表現が<見えないもの・精神>に到達しうるものであることが、ルドンの大きな価値であるのでしょう。現在の一般的な愛好の支持は、絢爛な色彩とモダンな色面に対してなのでしょうが。 ここでは、後のシュルレアリスムを予感させるような漆黒の版画作品ではなく、油彩作品に限定し<見えないもの>を感じさせるための手法を見ていくことにします。 ■ルドンの構図 ルドンの構図解説の中で最も指摘されるのは次のようなものです。 「彼は空間を決定せず、あいまいな世界にしておくことで『不可視のもののための可視の論理性』を表現しようとした」 ※『モデルニテ−−パリ・近代の誕生 オルセー美術館展』 編集:高橋明也、日本経済新聞社 作品解説:カロリーヌ・マチュー 発行:日本経済新聞社 1996 p289 ルドン作品の大半の画面に登場する物や人物は立脚する地点・場があいまいで、限定されていません。そして、遠近法も使用されないため、空間の奥行き・深さが定かではありません。 静物画の花を描いた作品などを思い出してください。花々や花瓶ははっきりと描かれていながら、花瓶が置かれている場所(床か机かはたまた…)は、明示されません。まるで、空間の中に浮遊し、静止しているかのようです。 こうした表現は、ルドンのある嗜好としても指摘されています。 (ルドン自身の言葉)「いずれにせよ、わたしは海の只中で生まれたかった。海である。のちにしばしば、ブルターニュの切り立った岩壁から、わたしが眺めくらしたあの海だ。奈落の上の定めのない場所である」 ※ 池内紀 「影の博物誌」 『美術手帖 1980年4月号 特集 オディロン・ルドン=漆黒の色彩の彼岸』 発行:美術出版社 p101〜102 そして、構図において、もうひとつ特徴的なことを本江氏が的確にあげています。 「つまり、ここでは<出現するもの>はまた、部分的に隠れてもいるのだが、これこそルドンの<出現形式>を規定する原理と言えよう。なぜなら、真に出現するためには、何よりもまず遮られねばならず、またそれによって出現そのものがより強調されるからだ。ルドンにあって、遮るのはまず第一に暗闇であった。 (中略) こうした二重構造の画面はルドンにあっては、基本的に二つの現れ方をしている。ひとつは、<枠取り>であり、もうひとつは<仕切り>である。 (中略) そこはあくまでも、画面という<仕切り>のむこうの創造空間であり、ある<枠取り>によって花々が乙女であり、乙女が花々であることが保証されている秘密の領域なのだ」以上、本江邦夫 「黒のプロフィール」 『美術手帖 1980年4月号 特集 オディロン・ルドン=漆黒の色彩の彼岸』 発行:美術出版社 p91〜94 代表作の<瞳を閉じて>や<エヴァ>などでは、画面を水平線のように横切る仕切りがあり、その向う側の空間に人物が存在します。
■ルドンの色面 そしてこの、あいまいな空間の構図を支えるのが色面です。この色面は、言ってしまえば何もない空間を“あいまい”にし、次のような効果を与えるのです。 モーリス・ドニはルドンのある作品の背景についてこう語っています。 「背景というよりも装飾、つまり花々、燃え立つような宝石、光、きらめき、カビのようにみえる装飾が、協調して画面を支配している人物の背後でまとりのある平面を作り出し、…」 (オルセー美術館1990−1996新収蔵品カタログ De l'impressionniste a I'art nouveau(Paris,Editions de la R.M.N.,1996)でM.P.Saleが引用 ※※『19世紀の夢と現実 オルセー美術館展1999』 編集:高橋明也 作品解説:眞鍋千絵 発行:日本経済新聞社 1999 p223 またある人は… 「青や朱色の濃密な閃光の散りばめられた黄色のモノクロームを通して、寡黙な生命が発する霊気をカンヴァスにつたえているかのようである」 ※『19世紀の夢と現実 オルセー美術館展1999』 編集:高橋明也 作品解説:眞鍋千絵 発行:日本経済新聞社 1999 p222 「画面上部の、とりどりの色彩がちりばめられたまばゆい抽象模様は、眼を閉じた天使の幻想のなかに現れた光あふれる天界の断片としてあるのかもしれない」 ※『世紀末ヨーロッパ 象徴派展』 作品解説:山梨俊夫 発行:東京新聞 1996 p45 とも評されます。 では、それは何なのか? 技法と銘打ってるコーナーなんだからなんとかしかくてはなりません。でも、この技法について批評されたものを、私は読んだことがない。だから、引用はできません。なにしろ、作品ごとに用いられる技法が異なり、共通項を得られるものが少ない。でも、どうしてもという人には、私があげられるものを…(全てに共通するわけではありません。あくまでも要素です)。 ルドン作品の中の空間の色面は、表面色(物体の表面の色)のように現れるのではない。といって面色に相当するわけでも、空間色の定義に該当するわけでもない。 色面を構成する色彩は、寒色と暖色がセットで採用されることが多い。その場合、寒色が最初に塗られ、暖色はその上に配置される。これにより、膨張色と収縮色との関係から、遠近法ではない奥行感が確保される。 暖色の色彩は複数の色相が用いられることから、とかく連想しやすい、眼でみたことのあるもの(例えば雲など)であることを阻む。 複数の色相は、補色または類似トーンを主体にして選ばれ、空間内のバランスを崩さずに統一感を保つが、そこにはグラデーションや彩度の規則的な法則は用いられない。 時には、その空間の中に違和感を与える物体色に近く、固いマチエールの暖色が施される。また、マチエールや筆の運びは統一性を持たず、近接したもの同士が類似しない。 上記のことを統合すると…つまり、ルドンは、誰もが実際に見たことのあるものを避けるために、さまざまなものを表現するための色彩技法の最小限度のものだけを使用し、そのほかは伝統的技法から故意に離れる、避ける…という様式を選択したといえるのではないでしょうか。
■ルドンのタッチ ルドンの代表的な作品を実際にみたことがある方は、もうおわかりのことでしょう。 「薄塗りの筆触が、微細なモヤのようなマチエールを生み出しており、この驚くべきヴィジョンの深い内面性と精神性を強めている」※『19世紀の夢と現実 オルセー美術館展1999』 編集:高橋明也 作品解説:眞鍋千絵 発行:日本経済新聞社 1999 p222 薄塗りすることで、カンヴァスの目が、そこに描かれた人物や色面にニュアンスを与えます。ここでルドンが、初期から中期まで、リトグラフなどの版画や、木炭、パステルを使用して描いていたことを思い出してください。 黒一色のリトグラフのなかで、ニュアンスをだすためには、短い平行線やクロスハンチングなどの技法を使用するのは当然のことです。デッサンで使用する、あの基本的な技法です。また、パステル画では、短い平行線を何本もひいていく<フェザリング>という技法があります。 この<フェザリング>という技法は、光がちらちらと揺れ動いているような大気の状態を表現したいときなどによく使われます。また、パステル画は、支持体の紙のテクスチャーによって表現の変化を起こすことができます。 ルドンは、こうした技法の効果を、きっと気に入っており、それを油彩画の中に取り込む方法のひとつとして薄塗りを使用したのではないか、というのが私の憶測です。カンヴァスには一定方向の目があり、そこを薄塗りすることで、色面に絵具がしっかりと到達しない部分ができます。それがある意味<フェザリング>したのと同様なものとなり、全体からちらちらと光る大気の感触を感じるのではないでしょうか。機会がありましたら、ぜひルドンの薄塗りの作品の細部を見てください。 このほかにも、“見えないもの”を表現するための<選択>がなされていることがあるのですが、それは、今度はあなたが解き明かしてみてください。 (文中の太字は筆者の私、トビー高橋の独自の判断によって行ったものです)
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<オディロン・ルドン関連の書籍>
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