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絵画の制作技法・構造と効果 |
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さて、今回はムンク作品の様式の後編。ムンク作品の構成要素を前提として始めますので、読んでない方は前編を参照してください。 でも少しだけ、おさらい。ムンク自身による言葉で、重要な鍵を握るのは次の発言だからです。 「精神状態が昂ぶっている場合には、風景が、人間に特殊な印象を与えることがある。この風景を描き出すことによって、自分自身の情感をあらわす絵画に到達する。この情感こそが、われわれの眼目するところである」 (浅川泰 「ムンク――風景のメランコリー 『スカンディナビア風景画展』 監修:トシュテン・グンナション、ミカエル・アールンド 発行:読売新聞社、美術館連絡協議会 2002 p114) 「わたしは、ただ憶えていることだけを、何のつけたしもせずに描いた。わたしには、もう見えないようになっていた細部はつけ加えなかった」 アルネ・エッグム 「エドワルド・ムンク−−モティーフのあらたな定義」『ムンク版画展』 発行:日本経済新聞社 1977 これらのなかに、ムンク作品の特徴でもある構成要素、それぞれが不協和音を発する要素を統合するポイントがある。上記の中でいっているのは、読めばわかるとおり、その場面に居合わせた当時の「印象」とその「記憶」。 ある意味で、ムンクの作品はあからさまに、その印象と記憶だよ、といっているような描き方をしているのです。それを見ていきます。 ■溶解する身体、そして記憶 まずは代表作のひとつ、油彩画の《マドンナ》。眼を閉じたとも、薄眼を開けているともいえる裸体の女性が胸を突き出したポーズをとっているもの。注目すべきは、腕。腕は後ろにまわされていますが、次第に背景に溶け込んで、輪郭が定かでなくなります。もちろん、下半身も透明なヴェールに遮られるようにして背景と見分けがつきくにくなっています。 油彩画の《吸血鬼》はどうでしょうか。男性を抱え込んで、その首筋にキス、あるいは噛み付いている女性。はっきりとわかるのは片腕と顔と赤毛の髪だけ。男性はどうかといえば、その上半身は背景に溶け込んでいき、輪郭はわずかに感じられる程度です。 油彩画《接吻》は、抱擁しあう男女が、同一のフォルムになってしまっているのはもちろんのこと、そのフォルムでさえ、背景に溶け込んで輪郭はぼやけています。《カール・ヨハンの夕辺》の道行く人たちも、その服装は同じ黒(こげ茶)で表現され、互いの体のフォルムが溶け合ってよくわかりません。《不安》や《目の中の目》もまったく同じ。 どれもこれも、背景の中に人物たちが溶けこんでしまいます。どうしてこんなことをするのか? ムンク自身の言葉を知った今なら、もうわかりますよね。そう、それはそのときの記憶だから。記憶が背景の隅々まで鮮明なはずがありません。 そして、その技法は、背景と人物および人物の服装などが、近接する明度、彩度、色相でまとめられているから。ぶっちゃけた話、ほとんど同じ色ということです。でも、ムンクは、もちろん、同じ色での(乱暴な言い方を続けますが)人物の溶解だけを用いたわけではありません。 もうひとつの方法が、タッチ(筆触)と類似フォルムのパターンを配置することによる溶解です。 油彩画の(何度も油彩画の、と前置きするのは、ムンクが同一のタイトルの似た構図の同一作品を数多く作っているからです)《叫び》を見てみましょうか。 叫んでいる人(恐怖と不安に、両腕で耳を塞いでいる人というべきでしょうが)のフォルムは、はっきりとわかります。でも、それも、はっきりとしていると強調できるほどではありません。何故なら、その少しゆらめく人物の廻りの風景が同じようにくねり、人物と背景のタッチ、筆遣いが同一だからです。だから、その人も、しばらく見ているうちに、まわりの風景の中にどんどんと溶け込んでいこうとします。 《生命のダンス》や《桟橋の少女たち》は、どうでしょうか? そこに登場する人物たちは、まわりの風景よりも明度の高い色や強い色調を与えられ、フォルムは確実にわかります。しかし、やはり人物とまわりの風景との筆遣いは似通り、また類似したフォルムや色彩があちらこちらに配置されることにより、個としての存在感、認識力は弱まり、やはりやがて溶け込んでいこうとします。 代表作のひとつ《メランコリー(黄色いボート)》は違うって? いえいえ、私はこの作品にも、こうした手法を見てしまいます。どういう作品かといえば、大きな岩が散在するノルウェーの海岸線で、奥遠くにボートが1隻、その桟橋には二人の人物が見えます(カップルだという説もあるようですが…)。そして、画面の手前には物憂げに頬杖をつく男性の頭部が描かれたもの。 確かにこの人物は、上記の作品のどれよりもはっきりとしています。でも、人物の頭部は、海岸の大きな岩のパターンと類似し、また人物の肌の色は、近くにある岩の色と同じ。人物の服装や頭髪の色は、海岸線の海水を吸収した砂地とほぼ同じ色なのです。この人物は、溶けていかなくとも、やはり背景に紛れ込む要素を十二分にもって描かれています。同じく妹を描いた《メランコリー》は、色彩に注目すれば、やはりわかります。 さて、くどいほど、人物が溶解していくことを繰り返しました。記憶の中の光景だから、ということのほかに、これがムンク作品の構成要素の不協和音をそれぞれを統合していくための、つなぎ役を果たしているからにほかならないからです。デフォルメされた人物表現、デフォルメされた形態、デフォルメされた色彩対比が溶解していくことによって、それぞれの部分で突出した印象を緩めているのです。
■浮かび上がるもの、そして印象 さて、ムンク作品の手法で、もうひとつ取り上げておくべきものがあります。そうです、「記憶」の説明をしたのですから、最後は「印象」です。 印象とは何でしょうか? 第一印象は大事などとよくいいますが、さて、その場合には、ぱっと見たときの雰囲気ということになるのでしょう。清潔感を感じたとか、生意気そうだったとか、気が弱そうな人だったとか、カッコいいとか、はたまた臭そうとか…。まぁ、人物についての印象といえば、はっきりいって、細部までは見てないということでしょう。 では、場面だったらどうでしょう? あるドラマの印象に残っている場面とか、この間の旅行で印象に残っていることとか…。(もう、これから先は、これを読んでいる貴方にまかせますが…) そういった観点からムンク作品を見直してみると新しい発見があるのでは? でも、ここは手法コーナーなので、これも貴方にまかせて先に行きます。 油彩画の《ダーグニィ・ユール・プシビシェフスカ》という作品があります。ムンクが恋した女性(かなり自由奔放の性格だったようで、最後はある若い愛人に拳銃に打たれて最後をとげます)の肖像画です。この画面の中ではっきりとわかるのは、その女性の顔だけ。その女性は微笑んでいるのですが、作品としてみると、とてつもなく怖い。恐怖をも感じます。なにしろ、暗闇ともいえる暗い空間の中から、微笑んでいる顔だけが浮かびあがってくるのですから。 これこそ、ムンクのもうひとつの手法ともいえる、浮かびあがらせ。ある特定のものだけを、背景の中からはっきりと浮かび上がらせるのです。《サン・クールの夜》の窓枠の十字と、部屋の中に映るその十字の影、《吸血鬼》の女性の赤い髪と同色の腕、そして男性の白い顔、《目の中の目》の男性の白い顔と女性の赤毛とそれと同色の樹の幹、《病室の死》の唯一鑑賞者側を正面から見据える女性の白い顔、《水浴する女》の白い体と白い岩……。 一部をのぞいてほとんどが暗い色調の中に、突然、明度の高い、または無彩色を配すことによって、特定部分だけを浮かび上がらせます。手法としては基本中の基本。 しかし、その使用の仕方が、それまでの絵画とは変わっていました。レンブラントのように光線として用いることによって生み出す明暗のコントラストではない。また現実の配置によるものでもない(現実の色を使用しているわけではない)。光源(発光体)を取り入れているわけでもない。 意識して行われた不自然さ、極端さ。それが、私たちがやはり勝手に受け取って作り上げる「印象」そのものではないでしょうか。 自分にとっての印象の深いもの、重要なもの以外は記憶の海に沈んでいく。もしくは、そうした記憶の海の中から、唯一思い出すことができる(明るく自分が照らすことができる)ものが、「印象」。ならば、そのデフォルメされた人物表現も、デフォルメされた形態や色彩を用いる理由も理解できます。 ムンクの作品を見て、それが情動から発する「記憶」とか「印象」を描いたもの、という印象を受けることは少ないかもしれません。そうであれば、ムンクにとっての手法の効果は、もっとほかのもの、主題を補佐するものとしての作用の方が強かったのかもしれません。そして、今回の後編の説明も、私だけの独断である可能性もあります。 しかし、これまでにあげた手法は、「記憶」と「印象」の世界の作品を描くのに適した手法のひとつではあると思うのです。そして、それはかえって、精神的、心理的にはリアルなのかもしれません。ムンクについての書籍を記述した三木宮彦氏は、違う観点からも次のようなことをいっています。 「実を言えば、われわれは対象に視線をそそぐ時、それをパン・フォーカス的に見ているわけではなく、一番関心のある部分だけを意識して、その他は適当にぼやかしているのである。このようにして、リアルなものはリアルに見えず、リアルでないものがリアルに見えるという逆接が、しばしば成立する」 ※三木宮彦 『ムンクの時代』 発行:東海大学出版会 1992 p14
(文中の太字は筆者の私、トビー高橋の独自の判断によって行ったものです)
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《吸血鬼》のおおまかな構図
《メランコリー(黄色いボート)》のおおまかな構図
<ムンク関連の書籍>
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