絵画の制作技法・構造と効果 red05_next.gif クリムトの端麗なる象徴としての文様・記号化


  

  

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 クリムトの《接吻》は、20世紀絵画の中で、最も多くの人に知られている作品のひとつ、といわれています(このサイトを読まれている方で複製図版さえ見たことがないという方はいないでしょう)。

 装飾的といわれ、実際、室内装飾の仕事を中心に活動していたクリムトですが、当時のウィーンでは前衛の先端を走っていた。一瞬矛盾?しているようにも感じますが、別段おかしなことではありません 

 「装飾的絵画」=「保守的絵画」という図式は全てに当てはまる訳ではありませんし、「抽象的絵画」=「革新的(前衛的)絵画」という図式も幻想。現在では、超保守的な抽象絵画が溢れ返ってます。同時に「装飾的」であることが「工芸」であり「ファイン・アート」でない訳でもありません。

 こうした区分はとりあえず横におき、今回はクリムト作品が、これほどまでにも多くの人々を魅了し続ける要素を、独自の展開を見ていくことになったウィーン分離派結成前後の作品以降から、その画歴の流れとともに見ていくことにします。

 

クリムト 画面分割からの出発

 「画面分割」と記しましたが、正確な意味では画面分割ではありません。効果として画面分割と同様というのが正しいのでしょう。

 1895年以降からクリムトは画面分割と同様の効果を持つ作品を数多く制作します。《愛》、《カルロス役のブルク劇場の俳優ヨーゼフ・レヴィンスキー》、1897年作《悲劇の寓意のための最終素描》、1900年作《ヨーゼフ・ペンバウアーの肖像》など…。

 こう取り上げても、実感が湧かないとおもいますので、例によって幾つかのつたない参考図版を…。

                    

   

 向かって左側が《愛》の概要図。中央には見つめ合う男女(その上には恐ろしい表情をした子供、女性、年寄りの顔が浮かんでいる)、その両側には薔薇が描かれています。右側の図が《カルロス役のブルク劇場の俳優ヨーゼフ・レヴィンスキー》。中央には本人の肖像があり、向かって左側には植物が、右側上方には悪霊のような仮面を手に持つ女性、下方には三脚が描かれています。

 画面分割のように見えますか? 見えないはずはありません、何故なら周辺部は全て中心部の絵の彩色額縁なのですから。(だから、正確には画面分割ではないといっているのですが)

  こうした画面分割?の特徴のひとつは、さまざまなイメージを付加したり補足するのに役立つこと(現代美術においては、多視点の取り入れ、異なるイメージを入れることによって全体からもうひとつのイメージを導きだすという意味合いで用いられることが多いですが…ローゼンクエスト、サーレなどなど)

 《愛》の額縁の左側には薔薇が一輪だけ描かれ、右側には薔薇の繁みが描かれる。愛の営みの後の子孫の増大という暗喩は容易に読み取れます。役者ヨーゼフの肖像画の額縁の左側には草とその影、右側には仮面を持つ女性、となれば、役者本人の素顔と演じる役柄として人物という演劇の寓意が、繰り返し補足されているわけです。

 さて、ではこの画面分割は、そうした意味の補足以外にどのような意義を持つことが可能でしょうか? それは、額縁という絵を飾るための装飾器具が、装飾物としての機能だけでなく、作品の構成要素のひとつとしての機能する可能性ではないでしょうか。絵画と額縁との、それまでの関係を崩し、作品の中に取り込んでしまう……。

 その可能性を見出したからこそ、クリムトは大きな飛躍へ向かったのだと考えられます。

 

装飾を装飾のまま絵画に混入することが意味するもの…

 額縁による装飾的な要素を作品の中に取り込める可能性を見出した?クリムトは、多分、すごくご機嫌だったのではなかろうか(その効果を非常に気に入った)と私は推測します。ならば、次は装飾をそのまま絵画の中に取り込んでしまってもいいのではないか? というアイデアも浮かぶはず。

 その試みのひとつと考えられるのが、1898年作の《パラス・アテナ》。1898年とは、クリムトを中心としたウィーン分離派が旗揚げになった年。第1回ウィーン分離派展のポスターに、アカデミックで硬直したな美術権力との闘争の暗喩として女性騎士パラス・アテナを登場させます。そして、油彩画として描いたのが、この《パラス・アテナ》。

 では、何故この作品が、装飾を作品の中に取り入れようとする試みだったと私が推測するのか(美術史的には、間違っているのかもしれませんが)は、作品と額縁との関係からです。

 画面の大部分を占め、そして目にとまるのが、金色の光を発する鎧と槍。これらは古代の遺品から正確にコピーされたものといわれています。そして、問題の額縁は銅の打ち出しで作られており、画面の中の背景と同色で全く目立ちません。上記で述べた画面分割的な手法はまったくなく、むしろ絵画の延長のようにさえ見えます。

 そして、この騎士の背後には、古代の壺に描かれていたという横向きの人物が、そのまま文様として平面的描かれています。

 同年の《音楽U》においては、女性とともに古代の壁面レリーフとも彫刻とも思えるものが、今度は写実的に描かれます。そして、その背景には、植物や竪琴が平面的な文様として描かれています。

 前回のような画面分割的手法を継続しようとすれば、これらの壺の人物の文様や、植物や竪琴が額縁に描かれてかれていてもおかしくはない。何故、クリムトはそうしなかったのか? 何故、これらのものを、あからさまな文様として(写実的な3次元の画面の中に、違和感を感じさせる平面的なものを)画面の中に登場させたのか? 暗喩、象徴としての目的だけであれば、同一の写実的な描き方で混入させる方が自然ではないのか?

 こうした疑問についての答えとして最適なのは、以下に引用する馬渕明子氏の指摘と、ウィーン分離派としての理念でしょう。

 「クリムトはこの平面と立体をひとつの画面に共存させることによって、緊張感溢れる不思議な効果を生み出すことになる」「《ダナエ》にせよ、《ユーディットU》にせよ《水蛇T》にせよ、画面そのものの狭い枠組みと、隙間を埋め尽くす金属的装飾によって、人体は不自然に押し込められているようなポーズをとらされている。つまりクリムトはさまざまに組み合わせた硬質の装飾文様や質感表現と、柔らかい人体との対比を、最も効果的に表現したのである」 (馬渕明子 「クリムトと装飾――ウィーンにおけるジャポニズム」『ウィーンのジャポニズム展』 監修:ヨハネス・ヴィーニンガー、馬渕明子 発行:東京新聞 1994 p23―24)

 「分離派展のあらゆる要素を、芸術的・装飾的な完全体を作り出すために調和させるという考え方は、このグループには特別重要なことであった。このことは、彼らが工芸の正当性と価値を信じていたこと、室内や劇場の装飾に関する経験、そして画家、彫刻家、建築家、デザイナーが参加していたこのグループの構成を考えれば、驚くにあたらない」 (『アート・ライブラリー クリムト』 著:キャサリン・ディーン 訳:富田 章 発行:西村書店 2002 p17)

 ウィーン分離派は、工芸などをも含んだ総合芸術を目指していたという事実。第2回分離派展には次のような言葉も掲げられていたのです。

 「それぞれの時代にその芸術を、芸術にその自由を(『アート・ライブラリー クリムト』 著:キャサリン・ディーン 訳:富田 章 発行:西村書店 2002 p12)

 

文様に埋め尽くされたものが示すもの

 1901年作《ユディットT》は、画面の半分を写実的な女性が、残りの半分は金色による平面的装飾文様で占められます。1901〜2年作の《金魚》は、裸体の女性たちの間を装飾的に様式化された巨大な金色の金魚が顔をのぞかせます(女性たちは金魚の擬人化ともいえますが…)。

 1902年作の室内装飾《ベートーヴェン・フリーズ》では、金色の鎧に身を包んだ騎士、豪奢な文様の巻きスカート、髪飾り、ブレスレットをした豊満な女性、金色のドレスを着て装飾的文様の入った琴を弾く女性が描かれ、《エミリエ・フレーゲの肖像》では文様だらけのドレスを着ています。

 記号としての文様どころか、文様が前に前に出てきて、人物までを侵食します。

 「布地の質感ではなく、文様そのものを使い、華やかな「かざり」の効果で面を覆ってゆくことによって、空間は二元的になってゆく。人体はそのヴォリュームを失い、平坦な衣裳から辛うじて現れる手や顔だけの存在となってしまうのである」 (馬渕明子 「クリムトと装飾――ウィーンにおけるジャポニズム」『ウィーンのジャポニズム展』 監修:ヨハネス・ヴィーニンガー、馬渕明子 発行:東京新聞 1994 p19)

 クリムトの絵画の平面化はさらに加速します。1904〜7年の《水蛇T》、1905〜9年のストクレ・フリーズのための下絵、1907年の《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像T》、1907〜8年の《接吻》。もう、おわかりのとおり、装飾文様が画面のほとんどをしめ、写実的な人物は顔と腕の一部だけの存在となります。

 もうこれは装飾を混入するレベルではない。人体を装飾模様が覆い尽くすという事態が意味するものは…もう、ひとつしかありません。

 そもそもクリムトが使用した文様は、古代エジプト美術の「目」や「鳥」、ヴィサンティン時代のモザイク、日本の渦巻文様、流水文様、立涌文様、藤の文様、鱗文様、唐草文様からの影響が指摘されています。そうした起源よりも重要なことは、

 「……日本の文様やモティーフはほとんどが季節感を豊かにたたえた自然の動植物や現象をデザイン化したものであり、そこに人間が登場することは稀であった。

 クリムトはこうした文様をただ華麗な装飾に利用するだけでなく、日本におけるのとはまったく別なコンテクスト、すなわち官能的で動物的で挑発的なファム・ファタールのイメージを作り上げるのに利用し、成功した。女たちはある時は自然の流れと同化し、自然の豊饒に身を委ねるが、時折そこから身をもたげ、魔女のような冷ややかさで男/人間の前に立ち現れる。そしてファム・ファタール的な特性は、より平面性の強い表現と硬質な文様と組合させた人間表現において、いっそう顕著にあらわれるのである」 (馬渕明子 「クリムトと装飾――ウィーンにおけるジャポニズム」『ウィーンのジャポニズム展』 監修:ヨハネス・ヴィーニンガー、馬渕明子 発行:東京新聞 1994 p22)

 実際に幾つか見てみると、クリムトの《成就》の男女がまとう文様は、

 「男のロープには、たくさんの小さな四角からなる大きな四角が描かれている。なかには歪んだ四角もあるが、黒、白、微妙に異なる灰色、金などが引き立てあう。クリムトは男らしさと女らしさの違いを際立たせるために、しばしば円や渦巻きに対して正方形や長方形を対比させたように思える」 (『アート・ライブラリー クリムト』 著:キャサリン・ディーン 訳:富田 章 発行:西村書店 2002 p92)

  作品《接吻》においても、男性がまとう文様は、垂直線、または垂直方向に長い四角、それも四角の地色は黒、灰色、黒に囲まれた白など。対して女性がまとう文様は、渦巻文様で文様の中心は赤、紫、白、黄色など。

 もちろん、男女が佇む花咲く断崖も、男性側は縦長の蕾が多くあり、女性側にはなだらかな藤の文様が…これでもかという対比がなされています。

 馬渕氏も指摘していますが、もっとはっきり言ってしまえば、クリムトは人体をも記号化し、テーマに対する構成要素の一部として、人間の営みの現象をデザインした…。(人体を文様、様式化したと言っているわけではありません)

 もう、そこにいる人間は現実の世界からは遠く浮遊し、男は男の記号として、女は女の記号としての普遍性を獲得して、そこにいる。一人の人間としてではなく、象徴の記号と化しているからこそ、極めてエロティックなポーズや表情も、官能性、生などの一部を現わす小さな記号へと変容するために、広く認知・理解され、容認されうる力を持続する…。象形文字とは異なる記号としての絵画を開拓した、といえるのではないでしょう。

 そして、こうした装飾的記号としての絵画の新たな可能性も、まだまだ充分に残されているのではないでしょうか。特にこの日本において…。

 美術評論家のルードウィヒ・ヘヴェジーは、次のように語っています。

 「クリムトにとって装飾とは、休むことなく展開し、回転し、渦を巻き、波立ち、からみつく、絶えざる変化の状態にある物そのものの暗喩であ」る(『アート・ライブラリー クリムト』 著:キャサリン・ディーン 訳:富田 章 発行:西村書店 2002 p94)

 

(文中の太字は筆者の私、トビー高橋の独自の判断によって行ったものです)

 

 


 

 

  

 

 

 

 

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