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美術家の言葉 |
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■自身の制作時の状況を示すものとして… 「風景を描いている時、私は一つの場所に留まっていることはない。浮かび上がり、そして動き回る。私は写真を摂るように一点に立ち止まって描くことはできない。この絵で場面の持つ動きを捉えたかった。樹齢が500年近くにもなるこの大木の堂々たる風格を描きたかった。(中略) これまでのやり方を変えて、この絵の中にすべてを描いてみたかった。もし人々が何かを信じ、自分を激しく高揚させることができれば、何事も不可能ではないということを伝えたかった」 (自作『ペンシルヴェ二アの風景』について…) ※1
■植物などについての独自の接し方・考えを現すものとして… 「子供の頃、他の子供たちは皆学校へ行っていたが、私はトウモロコシ畑や森を歩き回ることで教えられたのだ。この絵を私は友人の肖像だと思っている」 (自作の習作『冬のトウモロコシ畑』)について…※2
■風景の持つ意味合いを現すものとして、または題材を求めるときの考えを現すものとして… 「これはメイン州ウィリーズ・コーナーの教会の内部だ。私はこの教会の鐘つき場に登るのが好きだった。教会の尖塔の乾いた感じや、干からびた花、船員のお葬式に使われた黒いクレープに包まれた錨などが強烈だった。これこそニューイングランド地方だ」 (自作の『鐘つきロープ』について)※3
「クリスティーナ・オルソンのシリーズの中でも最も重要なものの一つだ。ゼラニウムの赤色を見せながら、この部屋の向こう側の窓を通して、海まで見通せる構図が気に入っている。(中略) クリスティーナの面白いところは、思わぬところに、思いがけなく、姿を現すことだ。イギリスの画家ジョン・コンスタブルも語っているように、場面に人生を加える必要はない。何故なら、静かに坐ってじっと待っていれば、人生は向うからやってくるからだ。いいところで必ず人生の事件は起こる。これは私がいつも経験していることだ。(後略)」 (自作『ゼラニウム』について) ※4
「ジョージス川にある入り江の一つ、ブロード・コープの前の湿地帯に平底舟が引き上げられているところだ。潮の動きは変わったばかりだ.ブロード・コープは、内陸につながるこの川の入り江の一つで、17世紀にキャプテン・ウェイマスが上陸したのはこのすぐ近くである。潮が変わる瞬間というのは、いつでも不思議だった。静かであっても、止めることのできない動きが再び始まろうとする気配が、あたりに満ちてくるのだ。この絵はメイン州の心と、何が起ころうと絶対に変わることがない「あるもの」とを描いたものだ」 (自作『入り江』について) ※5 「(前略)オルソン家を描いた絵画やスケッチでは、カーナーの農場を描いたものよりも、一つ一つの建物の細部から、釘、木片にいたるまで実に正確に描かれているのだ。 この<さらされた場所>がオルソン家の真実の肖像になるように努力した。(中略) このもろく、からからに乾燥した骨のような家が、この世から消えていくのもそう遠い日のことではないと感じていた。私はこの世のはかなさというものに人一倍敏感である。すべては移り変わる。決して立ち止まりはしない。父の死が私にそう教えてくれたのである」 (自作『さらされた場所』について) ※7 「(前略)私は冬や雪の持つ荒涼とした感じが好きであり、その寒さや冷たさにスリルを感じるのだ。雪の風景を描くために、私のお尻は何度か凍傷の一歩手前までいった。私が好きなのは、雪の荒涼とした感じであり、その物悲しさではない。私の描く雪の風景が他の画家と異なるのは、私の絵が決してロマンティックではないという点である。私の絵は、冬の持つ、あの奇跡的で孤独に満ちた荒々しさとその静けさ、その寒々とした感じを捉えているのだ」 (自作『冬の水車小屋』について) ※8
■自身が制作時に注意していることなど… 「オルソン家の肖像を内部から、そして外側から、描こうとした。家の外側は壊れやすく、内側は秘密に満ちている。クリスティーナは左手の台所に坐っており、ここには煮炊き用まきストーヴ、ゼラニウム、バケツ、ゴミなど、ほとんどすべてのものが描かれている。私は多くのものを描きこみ、すべての秘密をぶちまけた。芸術家はあくまでも単純さを追及しなければならないという人もいる。しかし、そんなことはどうでもいい。すべてのものを描きこもうじゃないか。私は省略し過ぎる方が心配だ。単純さや純粋さを目指すのはあまり自然なことではない。もちろん、芸術の技術をあまりひけらかすのが良くないのも事実だ。我々はテクニックに支配されるのではなくて、それと闘わなければならないからだ。ヌードを描くときもそうだが、対象に対して遠慮してはいけない。 どんなものにもどこか醜いところはある。だから、私はあまりきれいでないところで仕事をした。私がヘルガをモデルにするのもそのためだ。彼女は人生や物事のきれいごとが嫌いなのだ。父は私の絵をきれいにしようとした。父はジェイムズ・ローパーを描いた私の絵から、ジェイムスがなくした片手の代わりに使っている鈎を消してしまったことさえある。そんなことをすれば、絵はあまりに都合がよく、あまりにもきれいごとになってしまう。決して、そんなことをしてはならない」 (自作『煮炊き用まきストーヴ』について) ※6
■自身をどのような画家だと考えているかについて… 「多くの人々は、私がリアリズムをよみがえらせたと言い、イーキンズやウィンスロー・ホーマーと私を関連づけようとします。私の考えでは、それは間違っている。正直私は自分を抽象画家だと思っているのです。イーキンズの描く人物は額縁の中で本当に息をしている。私が描く人々や物はそれとは別の仕方で息をしているのです。別の核がある−明らかに抽象的な、気持ちの高まりという核。…(中略)…私は事物に対してそういう強烈なロマンティックな空想をめぐらす−私が描くのはそれなのだが、リアリズムを通ってそこに至るのです」 ※9
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<ワイエス関連の書籍等>
言葉の流用・引用先文献 「アンドリュー・ワイエス展カタログ」 編集:愛知県美術館/高橋秀治/拝戸雅彦/藤島美菜 編集協力:トーマス・ホーヴィング 発行:愛知県美術館/中日新聞社 1995 ※1〜8まで トーマス・ホーヴィング(元メトロポリタン美術館長)が、ワイエスとの作品解説についての対談を、自らがまとめたもの
※9 高橋秀治「ワイエス−その内なる世界」
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