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美術家の言葉 |
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■コローの絵画制作の仕方を考察できるものとして… 「絵は端から順に仕上げていくこと、しかもできる限り最初の一息で仕上げ、画面全体が塗り上げられたとき、なすべきことはほとんどないくらいにすること。最初の一息になされたことは、純粋でかつ美しい形を成し、偶然の効果を充分に生かせる。この方法は筆の勢いを必要とする植物などを描く場合に良い。 人工物や人体は形が固定している故に常に非常に厳正な態度が必要で、即興的なスケッチに満足すべきではない。私の素描を見るとき、なぜ30分以上時間をかける気力がなかったのかをしばしば悔やむ。…いかなるものも不確実なまま放置すべきではない」 (イタリア滞在時のノートから) ※5
「誤魔化しのない確かなデッサンの勉強をしてください。本当の色彩をとらえること、君の目に映じたままの真実こそ大切です。他人の絵はどんなものでも考慮することは要りません」 (1835年8月、後輩の画家に対する忠告として) ※6 「作品の全体のまとまりと画品とが私にとって先決問題。形や色など細かい問題はこれが確定してからである」 ※9 「自然を前にして私が自分の思い通りに、たいした間違いもせずに小さな絵を手早く描きあげることができるのは、私が習作を何千枚も描いたからなのです。確かに、不必要と思われるあれこれのものを取り除くとき、私はもう悩んだりしないのです…。この木のすべての枝、すべての木の葉を描くことなどできるでしょうか? 私は、マッスとしてそれらの形を定め、全体としての様相を描くことにとどめるのです。…芸術家が作品を創るということは、選択することを知るということです」 (美術評論家でコロー作品の讃美者のフレデリック・アンリに対して語ったもの) ※10 「私は経験から、制作しようとする作品を白いキャンバスにごく純粋に素描することから始める。ないしは白か灰色の紙に描いてその作品の効果をあらかじめ見ておき、それから作品を一部分ずつ制作してゆくのが非常に有益であると確信した」 ※1
■コローの目指し、考えた絵画芸術をあらわすものとして… 「君を導くのは君の感覚だけ。ただ視覚するところに素直になりなさい。他の画家の影響があるよりも、何もない方が優れています。 芸術の美とは、私たちの感じた印象を通した自然外観の真実のことです。自然に即してまずは形、次に明暗の関係、色彩、仕上げと続きます。自分の心の琴線に触れたものは、他人にもきっと通じます」※7
■銀色(もしくは灰色)のコローと当時から呼ばれていたことに対する、その所以を解き明かすひとつとして… 「一番好むのが美しい階調を持った明暗、色と来たら時々私の好まない不調和の動機となる。私が鉛色の色調ばかりよく使うと人にいわれるのも、あるいはこの主義に凝りすぎるからかもしれない」 ※8
■コローにとっての風景とは…を示すひとつのものとして 「私のアトリエの隣に美しい娘が隠れていまして、私の意のまま入ってきたり出ていったりしているのです。目に見えない私のこの妻こそ、いつまでも若々しいし、その貞節な心は枯れることがありません」※4
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<コロー関連の書籍>
言葉の流用・引用先文献 ※1 カミーユ・コロー展カタログ」 監修:井出洋一郎 ガブリエル・ワイズバーグ、ケネス・マッコンキー、ヴァンサン・ポマレードの3氏の原文を、井出洋一郎、隠岐由紀子、中山久美子が翻訳、井出氏が校閲 編集・発行:潟Aート・ライフ 1989 ※4、5、6 井出洋一郎 「フランス19世紀自然主義の成り立ち−−バルビゾン派、コロー、ミレーを中心として」 『中村コレクション秘蔵の名品 コロー、ミレー、バルビゾンの巨匠たち展』 発行:読売新聞社 p10 ※7 同上 p12 ※8 同上 p14 ※9 同上 p11 ※10 マリー=テレーズ・カイユ、ヴァンサン・ポマレード、ベルナール・マルボ 序論 『ミレーとバルビゾンの画家たち展』 編集:岡部幹彦、鈴木幹、石田泰弘、三谷理華、平野重光、喜多村明里、金原宏行、舟木力英、福島稔、高市純行 発行:毎日新聞社 1996 p13 |
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