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美術家の言葉 |
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■タレルの自作の解説ともなるものとして… 「私のアートは、ミニマリズムでもコンセプチュアルでもない。パーセプチュアル(知覚)・アートなのだ。白昼夢というのは、我々がほとんどの時間をそのなかで過ごしている空間だと思う。「現実」と呼ばれる、意識の目覚めた空間にいるよりもずっと長い時間だ。私が動かしたいのは、その「現実」だ。 普通ならばありそうもない意外なところに作品を作り、人と向き合わせたい。普通の環境のなかでそのような体験をするとき、夢が意識の清明さを帯びることになる。私が作品に使いたい場所は、意識がしっかりと内在する場所。その意識は形あるものの構成によってではなく、それを包み込む思考によって生まれるのだ」 ※4
■タレルが作品制作の目的としていること、作品の根底にある考えとして… 「私の関心は、ある経験を人にも経験させたいということです。セザンヌとかローランサンとか、モネとか、いろんなアーティストの作品を見ると違う視点が見えてくる。そこに映っているいろいろな光景の記録が残っている。それを見ることによって、その人たちがその現場をどのように捉えていたかを知ることができる。そうすることで、貴方たちの感受性をもっと大きく広くすることができる。 どういうことかといえば、私が思うには野球を観戦するのとプレイするのとの違いです。私がしたいのは、貴方に体験をさせること。野球を見ているのではなく、実際に野球をしてどうなのかを、貴方がそれをどう感じるのかということを体験させてあげたいのです。私が野球をどう見ているかを貴方がわかるだけでなく、それに直面して経験してほしいのです」 (ビデオ・インタビューのなかで)※3
■タレルが作品内に自然の現象をも取り入れ、また鑑賞に対して長時間の滞在を必要とする作品をも制作するひとつの理由として…… 「圧力や磁気を測定したり、暗闇を映し出すカメラなどさまざまな装置類ができて、たしかに感覚は広がっているのかもしれない。しかしその一方で自分が本来もっている感覚が圧倒されている面もある。たとえば、古い心理学の実験で、いわゆる原始的とされるアフリカのズール地方の人たちと高度文明をもつ西洋人を対象に行った実験があって、遠近法を使って描いた台形の窓のようなものを、回転させたり、前後させたりして、どちらの状態にあるか当てさせると、西洋の人は50パーセントの人しかわからなかったのに、ズールの人たちはつねにどちらかを正確にあてることができたんだ。 というのも彼らは三次元を平面上に表現することを学習したことがなかったからだ。つまり、追加的な知識を習得することによって、実際にどうなっているかが逆にわからなくなってしまうという対価を支払わされていることがあるんじゃないかということなんだ」 ※2
■タレルが次に向かおうとしている知覚の領域、そしてタレルの独創性を支える好奇心とその嗜好を示すものとして… 「自分がいま興味をもっているヴァーチュアル・リアリティというのは、目の前に置かれたテレビの画面で見る類のものではなくて、他人の頭にイメージを転送して得られるタイプのものだ。それは夢というかたちで一部現実化している。つまり、自分のなかで見た夢を自分以外の人と同時に見ることができるような状態だね。それは人間が持っている潜在能力に関係があるだろうし、プリミティヴ・アートと呼んでいいのかもしれない。 かなり確かな証拠も出ているよ。たとえば、神経をシナプスが通るときの伝達速度と、その人の気質で視覚がどう変わるかなどがわかっている場合、こういう画像を見てほしいと正確に思い描けば、実際にそれをほかの人に見せることができるんだ。他人のなかにヴィジョンを作り出せるということだね。……(中略)……私が言葉でなにかをいった場合、その言葉に対する記憶があるのと同じように、それを映像として伝えることもできると思うんだ」 ※1
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<ジェームス・タレル関連書籍>
美術家の言葉の流用先、引用先原典 ※4 『ザ・ナウアート・ブック』 監修:ヴァルデマー・ヤヌシャック テキスト:セリア・リッテルトン 発行:光琳社出版 1996 p155 ※3 CD-ROM『Roden Crater Project /James Turrell & His Cosmic Work〜 宇宙と地球と私の写真装置』 producer:和田昌樹 coproducer:藤森元之、柳和暢 発行:ダイヤモンド社 1995 ※1 「光の体験」 取材:美術手帖編集部 『美術手帖1998年11月号』 発行:美術出版社 p130―131 ※2 同上 p134
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