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美術家の言葉 |
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■ド・スタールが具象的表現から抽象的表現へと移行する動機といえるものとして… 「若い頃、何年にもわたってジャニーヌの肖像を描いていた時期があった。肖像画、それも真実の肖像画というものは、なんといっても芸術の一つの頂点である。私はこのようにして二枚の絵、二枚の肖像画を描いた。それらを身ながら、自分自身に問いかけたのであった。 私がここに描いたものは何だろう? 生命を与えられた死者、死にとらえられた生者? …そして私は、対象を眼に見えるとおりに描くことに、序々に居心地の悪さを覚えるようになっていた。というのも、あるひとつの対象、たった一つの対象を描こうとすると、その対象と同時に存在する無限の他の対象の集積に、苦しめられることになってしまうのである。私たちは同時に沢山の対象を考えてしまうので閉じ込める可能性は霧散してしまうのだ。そのころ、私がめざしていたのは、自由な表現の獲得だった」 (二コラ・ド・スタール 1949)
■ド・スタール自身にとって絵画制作自体が意味するものとして… 「これまでずっと私には絵画を考え、タブローを見、絵をつくることが必要だった。自分が生きて行く助けをし、自分をあらゆる印象や感動、不安から解放するために。それらから脱出する絵画以外の方法を私は知らない」 (1965年ロッテルダム、チューリッヒで開かれた展覧会カタログに掲載された言葉)
■ド・スタールにとっての空間の捉え方、考え方を表すひとつのものとして… 「空間を見積もるのは決して急ぎすぎてはならない。まったく萎びた小さな松ぼっくりでも匂いが巨大な拡がりの印象を与えることもあれば、フォンテーヌ・ブローの森を散歩しながらまるで小人の小屋にいるように息が詰まりそうになることもある」 (ピエール・ルキューイ宛の手紙、1949年12月3日付け)
■ド・スタールにとっての主題との距離の置き方を示すものとして… (NY近代美術館からの質問状、「主題は、特別な意味を持ちますか。個人的あるいは象徴的に」に答えかけて破棄した内容として) 「何との関係で特別の意味というのか。個人的なといわれれば、それは当然である。象徴的にいわれても私には分からぬ…事物は制作中の芸術家と常に交流をしている。私の知っているのはそれだけだ」(スタールの書簡につけたジェルマン・ヴィアットの注釈からの抜粋、カタログ・レゾネ 1968 op.cit.p.150 ※3) 「主題に近づきすぎるのも遠すぎるのも、私にはどちらも全く望ましくない。この点については私はこだわりを持っている。こだわりがなかったら私は何もしないであろうから。夢へのこだわりと直接的なこだわりとどちらがより価値があるかは私にはわからないし、要するにそんなことはどうでもよい。できる範囲でそれは釣り合いが取れればいいし、好みとしては釣り合いがないほうがいい」 (ダグラス・クーパー宛の手紙 1955年1月) ※4
■ド・スタールが制作中においてもっとも苦悩したものを表すもの…(自殺する前年にスタールを蝕んでいたもの) 「私が大きな画面のカンヴァスに挑むとき、それがうまくいっても、私はいつもあまりに大きな偶然の役回りを強烈に感じる。めまいのように。力の中に幸運があり、それはどうしても幸運の顔、逆さまの意味の妙技の面を失わない。で、それが私をいつも惨めな失意の状態に陥れる。 私はどうしても支えきれない。私が始めるのが3メートルのカンヴァスでそこに私が熟考の末一日僅かな筆しか加えなくても、それらのカンヴァスはいつも終いにはめまいとなるのだ。私は言葉の本当の意味では−−そんな意味があるとして−−絵を支配していない。私はこの限界を乗り越えたいし、どんなに素早くまた強く描くにしても、もっと意識的に描ける状態に達したいのであって、重要なのは出来る限り最後まで落ち着きを保つことなのだ。私はこの方向で徹底してヴァリエーションをやってみるためにアンティーブにいる」 (アンティーブからジャック・デュブール宛の手紙、1954年12月末)
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<ニコラ・ド・スタール関連の書籍>
美術家の言葉の流用、引用先 ※4 ジェルマン・ヴィアット 「ニコラ・ド・スタール、描くことの危うさを賭けて」 訳:太田泰人 『ニコラ・ド・スタール展』 1993 p18 その他 年譜 (1981年パリのグラン・パレでの『ニコラ・ド・スタール展』カタログに基づいて執筆されたもの) 訳:太田泰人 『ニコラ・ド・スタール展』 監修:ジェルマン・ヴィアット 1993 |
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