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美術家の言葉 |
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■アンドレ・セラノの作品の中で、最も著名な(その衝撃度から)作品《ピス・クライスト》(尿のなかに磔刑のキリスト像を沈めて撮影したもの)を制作した際に意図していたものとして… 「私が『Piss Christ(ピス・クライスト)』を発表した時、写真についての説明を求められました。「宗教価値の商品化に対して抗議している」と説明すればよいのではないか、とアドバイスしてくれた人がいましたが、私はそのような説明をする必要はないと思いました。 見慣れたものを見慣れないものに変えたり、あるいはその逆も試みています。緊張と対立は常に存在します。神聖と冒涜、見慣れたものと見慣れないもの、善と悪、健康と不健康。私はすべてのバランスをとろうとしているのです」 ※2
■セラノが制作(撮影)においてどのような効果を目指しているかを表すもののひとつとして… 「私の作品には、静かな霊的要素があると思います。それは見る人に瞑想させるような性質のものです。自分では、針の落ちる音さえ聞こえそうな気分にさせる作品を作りたいと思っています。教会にある静寂や平穏さが感じられる作品です。 その点で死体安置所のシリーズは成功でした。死体安置所の作品については「どうしてこんな恐ろしい死に方に焦点を当てるのですか」とよく聞かれます。「人間はほとんどといっていいほどみんな、醜い死に方をしている」というのが私の答えです。老衰で死ぬのは、実は非常に珍しいケースです。私の目の前の台の上に並べられた死人は、みんな犠牲者のように見えました。作品は私が意図していないにも関わらず、衝撃的な要素が強い。でも、私は、芸術における表現の自由を守ろうという運動をしているわけではありません」 ※3
■セラノが制作(撮影)に際して注意していることのひとつを表すものとして… 「はじめてモルグへ行ったとき、これまで死体を見たことがないというと、ドクターが警告した。(中略) 『人によっては耐えられないことがある』と彼は言った。でも僕は、そこで見たことをアーティストとしての振る舞いに反映させなかったんだ。臭い、血液や内蔵の恐ろしい光景に対する感情は自制し、自分が発見したとおりの死を撮った。以前尿の作品を撮ったときも、ためておいた何ガロンもの尿が古くなってひどい臭いを放っていたけど、臭いからやめようとは自分にいわせなかった。イマジネーションを試すことはアーティストの義務だし、観客はただ作品にある美を見るだけだから」 ※4
■広義な意味で、セラノ自身による自作の解説ともなるものとして… 「僕の作品にはHOTとCOLDの両面があるんだ。まず冷たい面というのは、とても知的で戦略的な、アートのためのアートといったもの。いまの現代美術作家の多くはこちらよりだと思うけど、そうした理論的なアイディアは一般の人にとってはエリート主義的すぎたりする。だから僕は、もっと直接人に伝わる作品をつくりたい。たとえばヴァギナを撮る。見る人はアートの知識をもっていなくても理解できるといったように。 (中略) 僕がホットというのは……たとえば僕はハエになって異なる死体を飛び回ったかのように撮り、自分が見出したものを提示した。通常、死体安置所で撮られた写真は臨床的で冷たい感じがするけれど、僕の写真はとても美学的だ。それは環境に影響されずに撮ったからだと思う。つまり、できるかぎりベストな画像を撮り、それを記念碑的にしたいんだ。僕は自分のなかにいつも“二重性”や矛盾を感じている。作品にもそれが反映しているんだろう」 ※5
「僕はこれまでいつも矛盾と二重性の本質を理解してきた。だからイメージの二重性や、イメージが白にでも黒にでもなりうるということ、誘惑的であると同時に批判的でもありうるという事実は、僕にとっては何ら問題ではない」 (Quoted in Vince Aletti, “Fluid Drive,” THE Village Voice (December 6,1988)※1
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美術家の言葉の引用、流用先 ※2 『THE NOW ART BOOK』 監修:ヴァルデマー・ヤヌシャック テキスト:セリア・リッテルトン企画編集:資生堂企業文化部ザ・ギンザアートスペース『ル・ミレニュム』編集部 平山景子、豊田佳子、深井さえ子 発行:光琳社出版 1996 p124 ※3 同上 p123 ※1 『拡張する美術 アメリカン・アート1960―1990』 編:ディオドラ・サマーベル 訳:木下哲夫、富井玲子 発行:世田谷美術館、国立国際美術館、福岡市美術館 1991 p138 ※4 「アンドレス・セラーノ 背反の美学」 インタヴュー・構成:鈴木純子 『美術手帖1996年8月号』 発行:美術出版社 p26 ※5 同上 p26
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