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美術家の言葉 |
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■自身が目指した絵画についてと、それをどのような人に理解して欲しいと願ったかについて… 「14年以上もの間、私は高山の自然から、アルプスの作品を綜合したものを、それ自身のなかに高山のアルプスのさまざまな調和を含んでいるような音と色との構成をつくり出し、それをたった一つの全体のなかに包括しようと努力してきました。 春の晴れわたった日々に、光満ち溢れる高いアルプスの草原で、私のように何ヶ月も暮らし、谷から湧き上がってくる声に耳を傾け、遠くの物音のかすかなぼんやりしたハーモニーが風に乗ってやって来て、私たちの周りで調和のとれた沈黙をかたちづくり、それが岩山や氷山に囲まれた無限の青い空間へ広がっていくのを聞き取ることができる者だけが、ここの自然の深い芸術的意味を感じ、理解することができるのです」 ※4
■セガンティー二の画風に影響を及ぼしたといわれる幼少時の体験について…(後年の手紙の中で) 「私は狂犬のように皆に嫌われ、孤児、みなし子として捨てられた。…常に不安と不快とにとらえられ、法に対する反感がいや増しに増した。社会は私の惨めな体に飢えと泥とを塗ったが、心までは届かなかった。逆に社会が泥を投げれば投げるほど、悲惨な人々への同情が、私の中で強まっていった」 ※1
■セガンティーニの自尊心の高さと孤独にありながらも絵画を描きつづけられた自信を示すものとして… 「生まれつき芸術家としての魂を授かった人間にとって、美術学校の授業などまったく無駄だということが、嫌というほど身にしみて分った。美術学校に関して分ったもう一つのことといえば、美術学校がいかさまの芸術を蔓延させているということだ。確かに絵描きは次々に作り出すが、決して芸術家とは言い難い絵描きを殖やしている」 ※2
■死の直前に漏らした言葉…(その死は遺作の《死》とまったく同じものだったと妻は語る) 「私の山を見よう」 ※3
■セガンティーニが考える絵画のポジション、意義を示すものとして 「宗教がわれわれに残した空白を美術は埋めなくてはならない」 ※5
■セガンティーニ自身が作品のひとつの側面として認識していたこととして… 「《勇者(デッサン)》、私はこの主題に10年前から周期的にとりつかれ、2、3年おきに規則的に制作しては破棄してきたものです。それは憂鬱な時の悪夢のようなものです。もし展示に耐えないと思われたなら、展示しないでください。……ただ一点の、そして売れない《勇者》は、私としては売りたいのですが、これをほしがるほどメランコリックな人がいるとは思えません」 ※6
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<セガンティーニ関連の書籍>
美術家の言葉の引用先、流用先 ※4 「世紀末ヨーロッパ 象徴派展」 監修:カトリーヌ・クロエス、フランソワ・ドールト、木島俊介 発行:東京新聞 1996 ※1〜3 麻原雄 「回帰する風景 セガンティーニ」 「美術手帖 1978.3 作家研究2」発行:美術出版社 ※5 『世界美術大全集24 世紀末と象徴主義』 責任編集:高階秀爾、千足伸行 発行:小学館 1996 p156 ※6 『セガンチーニ展』 監修:アニー・ポール・クインザック、池上忠治 発行:日本経済新聞社 1978、P117 |
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