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美術家の言葉 |
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■エロティックを感じさせる主題を描くことの理由として… 「大人達は忘れてしまったのだろうか? 皆、自分達が子供だった頃、どれほど堕落していたかを。つまり、性の狂おしい衝動のためにいかに活気に溢れ、そして興奮させられていたかを」 ノイレングバッハ、1912年4月27日/『獄中日記』 編:アルトゥール・レスラー 1922 (レスラーの修正・削除が加えられている可能性が高いといわれる) ※1 「どんな外套でぼくらの身を覆うとしても、それは結局 虚無を覆うことにしかならない。なぜならそのような外被は、身体の各器官と絡み合う欲望を持つかわりに、ぼくら自身をただ隠すことにしかならないのだから」 オスカル・ライヒェル宛の書簡、ノイレングバッハから、1911年9月 ※2
■その時代に生きる画家としての立場や義務に対する認識、そして目指すものについて… 「世界戦争の血まみれの暗黒がわれわれの上に襲いかかって以降、おそらく多くの人々は、芸術が市民生活における贅沢や飾り以上の何ものかであることに気づくに至った。(中略) これら自主独立の気に満ちた若い集団は、すべてを物質的な関心の中に押し込め意に添わぬ芸術家に沈黙を強いる時代精神、いかに闘い得るかという試練に挑もうとする。これは今、避けては通れぬ道である。われわれの精神がこのような時代と決別すべき時が近づいているのだから。(中略) なぜならわれわれは停滞からの脱出を熱望し、この大地から発する様々な力が喜ばしい成果をあげるのを期待せずにはいられないからである。才能の流出が止み、オーストリアの生み出したすべての人々が祖国の名誉のために創造することを望む。 われわれは歴史の転換点に立ち、この瞬間がただ一度のものであることを切実に意識して、われわれが決して無関心なままこの時を過したのではない、と証明することを、人間的な義務であると考える。この時とは、世界で最も高貴なもの−−幾世紀にもわたって引き継がれてきた文化遺産−−を守り救済すべき時であり、人間精神のために証言し犠牲を捧げるに価する時のことにほかならない(後略)」 アントン・ぺシュカ宛の書簡、ウィーンから、1917年3月2日 「クンストハレ(芸術の広間)」構想のために練られたもの ※4
「ぼくらは世界がかつて見たいちばん暴力的な時代に生きているんだ。(……)何十万という人間が哀れにも破滅していく−−誰もが自分の運命を、生きながらあるいは死につつたえなければならない。(……)1914年以前のことは別世界のことなんだ。だらかぼくらは常に未来に目を向けて行くしかない。希望を持てぬ人間は死者の仲間に過ぎぬ。新しい生命を生み出すあらゆる事態に身を屈めて耐える心構えがぼくらには必要なのだ」 妹ゲルディ宛の書簡、ウィーンから、1914年11月23日 ※5
■シーレ自身が抱えていた“認識”について… 「僕は他のどの季節よりも秋を美しいと思う。春も好きだが(……)秋の方がはるかに好きだ。単に季節としてでなく、人間や物の、したがったまた町の状態としても。秋の自然をつつんでいるように思われる穏やかで静かなメランコリーは古い壁にも息づいているが、それは心を憂愁で満たし、我々がこの世の巡礼であることを思い出させるのである」 Roessler,op.cit.p.66 ※6
「空は灰色ではありませんが、しかし二人が動いてるのは喪に服した世界です。彼らはみずからここに踊り出たのであり、大地の有機的な延長とも言えるのです。この世界全体は、二人の人物とともに、すべて本質的なものの移ろいやすさを表しているのです。一本の元気のないバラの木が二人の頭部を飾る花輪と対照されて、その無垢な白さを発散しています。左側の人物はこの厳粛な世界を前にして頭を垂れています」 Jane Kalliar: EGON SCHIELE: THE COMPLETE WORKS, New York/London 1990,p310 ※7
■シーレの燃えるような創作活動を一時期支えた自身の高揚を表すものとして… 「こうしてぼくは、より多くのものを、もっと遥かなものを、自分の中から限りもなく湧き出ずるものを、送りだそうとします。すべてである愛がこのような方法でぼくを豊かにしてくれる限り。従来の自分を飛び越えてまで察知した新しい認識をもたらすべく自分の中へ引き込もうとする何か、つまり本能的に引かれる何ものかへと導いてくれる限り」 オスカル・ライヒェル宛の書簡、ノイレングバッハから、1911年9月 ※3
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<エゴン・シーレ関連の書籍>
※1〜4 『エゴン・シーレ 魂の裸像』 編:黒井千次 発行:二玄社 1999 ※5〜7 千足伸行 「生の高揚と死の陶酔:クリムトからシーレへ」 『ウィーン世紀末展 レオポルト・コレクション』 監修:千足伸行 発行:読売新聞社 1997 p28-29,p25
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