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美術家の言葉 |
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■ピカソにとって、自身が習得した最大の能力とは何かを現わすものとして… 「観察こそ、私の生活におけるもっとも重要な部分である。しかし、それはいわゆる普通の観察ではない。私は、何ものをも見逃さぬようにするために自己訓練をしてきた。セザンヌは、つねに『いかに注目してもそれで充分ということはありえない』といった。私は、このセザンヌの言葉を自分のものにしたのだ」 ※2
■ある側面では特異で奇異?なフォルムを描くことの意味・意図ともいえるものとして… 「現実というものは、まさに字義どおり別個に維持されねばならないのである。人々は、一切のものは唯一無二だということを忘れている。自然は、けっして二度同じものを創り出しはしないいのである。ここに私が「違ったものの寄せ集め」を探そうと努力する理由があるのである。 つまり、巨大な体躯に小さな頭、小さな体に巨大な頭といった組合せである。私は、精神(エスプリ)を通常とは違う方向に向かわせ、目覚めさせたいのである。私は、作品を見る人が、私なくしては発見しえなかったであろうものを発見すするのを手助けしたいのである。だからこそ私は、たとうば左目と右目の相違を強調するのである。画家は、両目を同じに描くべきではない。両目は、けっして同じではないからである。つまり私の意図は、事物を動かすこと、相矛盾する緊張、相反する力によってその動きを誘発すること、そしてその緊張関係もしくは対立関係の中に、私にとってもっとも興味ある一瞬を見出すことである」 (『ピカソとの生活』 フランソワース・ジロー、C.レイク より) ※12
■作風(表現形式)を変化させ続けたことに対するピカソ自身による解釈となるものとして… 「芸術はそれ自体、発展することはない。思想が変り、それとともに表現形式が変るのである。……(中略)……。 変化は発展を意味しはしない。ある芸術家が表現形式を変えたとすると、それは彼が考え方を変えたということを意味するだけであり、その変更は改善でもあるうるし、改悪でもありうるのだ。……(中略)……私が、私の人生においてやってきたすべてのことは、現在のためであり、つねに現在であり続けようという希望をもってやってきたのである。私は、探究心ということを考えたことさえない。私は、表現すべき何物かを見出したとき、過去も未来も考えずに表現してきた。私は、私のさまざまな描き方において、根本的に違った要素を用いたとは思っていないのである。 私が表現したいと思った主題が、違った表現形式を示唆すれば、私は迷うことなくそれを採用してきた。私は、試しとか実験ということを一度もやったことがない。私は何か言いたいことがあるときはつねに、自分がもっとも適当と感じた方法で言ってきた。モティーフが違えば、違った表現方法が要求されるのである。これは、発展を意味しもしないし、進歩も意味しない。ただ、表現したいと思う想念とそれに合った表現形式を採用するということにすぎないのである」 (『ジ・アーツ誌』 編:マリウス・デ・サーヤス編 1923年5月号より) ※10
■上記のピカソの言葉にある「私は何か言いたいことがあるときはつねに、もっとも適当と感じた方法で言ってきた」ということを、補足しうるものとして… 「私は裸体を『語る』ことを望んでいるのだ。裸体らしい裸体を作りたいのではない。私は、ひたすら乳房を語り、足を語り、手を、腹を語りたいのだ。それを語る方法を見つけれれば十分なのだ。裸体を頭のてっぺんから足の先まで描きたくはない。そうではなく、首尾良く語ること。それが私の望みである」 (パブロ・ピカソの言葉、エレーヌ・パルムラン 『画家とそのモデル』、パリ、セルクル・ダール、1965年)※3
■ピカソが(絵画に留まらず)最も重要であると考えていたこと… 「私は、近代絵画に関して、なぜ探究という言葉に重要性が与えられるのか理解しえない。私の立場からすれば、探すということは、絵画では何をも意味しないからである。重要なのは、見出すことだ。地面を見つめながら、偶然に落ちているかもしれない財布を探して一生を過ごす男の後について行くなどということは、誰にも興味はないだろう。しかし、何かを――それが何であれ、しかも探したわけでもないのに――見出した者は、われわれの賞賛の的とはなりえなくとも、少なくともわれわれの関心を目覚めさせるに違いない」 ※9
■ピカソの創作環境を垣間見られるもののひとつとして… 「画家が仕事に陶酔し、ほとんど没我の境地に入るためには、カンヴァスのまわりは完全な闇でなければならない。理性によって否応無く休みなしに意識させられる自分の限界を超えたければ、画家は自らの内面世界に可能なかぎり近づかなければならないのだ」 (フランソワーズ・ジロー 『ピカソと生きた日々』より) ※6
■ピカソにとっての“絵画”というもののが獲得すべきだと考えていたポジションを現わすもの… 「他人に無関心でいられようか、こんなにも豊かなものをもたらしてくれる人生に、無頓着でいることなどできるのだろうか? そんな筈がない。絵画は家を飾るためにあるのではない。それは敵に対する戦争の、防御と攻撃の手段なのだ」 ※5
■ピカソの根底にあるひとつの考え、そして芸術家として立っていくための必須条件と考えていたこと… 「いかなる真実か? 真実は存在し得ない。私が自分の作品に真実を求めているとすれば、この真実で百枚の絵が描けるだろう。さて、そのうちどれが本物だろうか? そして真実とは何者であろうか? 私のモデルを勤めるものか、それとも私が描くものなのか? いや、他のあらゆることと同じように、真実など存在しない」 (『ピカソは語る』 著:エレーヌ・パルムラン )※7 「私たちは、みな芸術が真実でないことを知っている。芸術は真実を、少なくとも私たちが理解すべく与えられた真実を、私たちに認識させるための虚偽である。芸術家は、自己の虚偽の真実性を他人に納得させる方法を知らなければならない」 (The Arts, NewYork,編:マリウス・デ・サーヤス編 1923年5月号より)※8
■ピカソが自作にこっそりとしのばせ、後世に託したある期待について… 「…写真を、とても気に入っているんだ。現実どおり、ありのままだからね。写真は血液検査のようなもので、それを頼りにそのときの私を分析し診断することができる…。なぜ、私がどの作品にも年記を書き入れていると思うかね? 一人の芸術家の全作品を見ただけでは不十分だからだ。 その芸術家が、いつ、どうして、どうやって、どんな状況下でそれらを手がけたかをも知る必要があるのさ。いつの日かきっと『人間についての科学』と呼ばれるような科学が生まれるだろう。ものを創る人々について研究することで、人間全般について何か新しい発見ができるような科学がね」 (1943年12月、写真家ブラッサイとの対話において) ※1
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<ピカソ関連の書籍>
美術家の言葉の引用先、流用先文献
※1 「パブロ・ピカソ クロムランク工房での日々」ヴェルナー・シュピース「ピエロ・クロムランク版画コレクション ピカソ『愛とエロチシズム』監修:ヴェルナー・シュピース 発行:読売新聞社 1997 から ※2 『ピカソ全集 2 バラ色の時代』 編著:神吉敬三 発行:講談社 1981 「造形表現への挑戦」 p94 ※3 「身体と表現 1920−1980 ポンビドゥーセンター所蔵作品から」 編集:東京国立近代美術館、市川政憲、千葉成夫、中村和雄 発行:NHK、NHKプロモーション 1996 p76 ※5 『知の再発見双書 ピカソ 天才とその世紀』 著:マリ=ロール・ベルナダック、ポール・デュ・ブーシェ 監修:高階秀爾 訳:高階絵里加 発行:創元社 1993 p105 ※6 同上 p140 ※7 同上 p149 ※8 「特集 絵画の実験 ブラックとピカソ 美術手帖1990年2月号」 発行:美術出版社 p82 ※9 『ピカソ全集 3.キュビスムの時代』 編著:神吉敬三 発行:講談社 1982 「証言:ピカソ」 訳:神吉敬三、馬渕明子 p126 ※10 同上p127 ※11 同上p ※12 同上p129 |
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