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美術家の言葉 |
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■ムンク自身が制作において心掛けていたものを現すものとして… 「頑丈な、むき出しの腕、褐色の強そうな顎、ひとりの若い女が頭を弓なりに張った男の胸によせかけている。彼女は眼をとじ、うち震える唇をあけ、編んでいない長い髪にささやきかける男の言葉に耳かたむけている。わたしはいまそれを見たとおりに、しかし青い霞みのなかで絵にしたいと思った。 この二人はこの時、彼ら自身ではなくて、世代から世代へと結ばれた幾千もの世代の連鎖のひとつの環にすぎないのだ。人々はこのテーマの神聖さ、崇高さを理解するようになるだろうし、そして、教会でするように脱帽するようになるだろう。 わたしはこのような絵のシリーズを描きたい−−わたしは男たちが本を読み、女たちが編物をしている室内画を描くのをやめなければならない。わたしは呼吸し、感じ、苦しみ、愛する生きた人間を描かねばならない。わたしはこのように扱わねばならないのだと思った−−それはとてもたやすくいくだろう−−そうすれば人間が形になり、色も生きるだろう」 (1889年 パリのサン・クルーに赴き、たまたま見たスペイン舞踏についてしるした日記のなかから) ※1 「わたしは、ただ憶えていることだけを、何のつけたしもせずに描いた。わたしには、もう見えないようになっていた細部はつけ加えなかった。作品が、簡素な印象を与え、一見、空虚にみえるのは、このためである。わたしは幼年時代の印象、そのころの、色褪せた色彩を描いた。わたしが感情のたかぶった雰囲気の中で見たそれらの色彩や線や形を描くことによって、蓄音機のように、感動的な雰囲気を再び響き出させようとしたのである。このようにして、生命のフリーズの作品が出現したのだ」 (1890または1891に描かれた日記のなかから) ※6 「精神状態が昂ぶっている場合には、風景が、人間に特殊な印象を与えることがある。この風景を描きだすことによって、自分自身の情感をあらわす絵画に到達する。この情感こそが、われわれの眼目とするところである」 ※7
■ムンクにとって絵画を描くことのひとつの意味として… 「わたしの芸術は、わたしの生活にひとつの意味を与えた。わたしは芸術を通して光を求めつづけてきた。わたしの芸術は、わたしに必要な、よりかかるステッキであった」 ※2 「これらの思索と芸術における発露の底には、わたしの芸術がわたしにとっては、闇に光をなげかけるものであり、また人間に光をもたらすものであって欲しいとの願望が横たわっていた」(1905年のノートより) ※7
■自身の体験や生活が自作にもたらした影響と、自作の意味を語るものとして… 「病気と狂気はわたしの揺りかごをまもる黒い天使たちであった。子供のころ、わたしは、母親もなく、病んでいて、わたしの頭のうちにぶらさがっている地獄の懲罰に脅かされて、不正な仕方で扱われているといつも感じていた。 わたしの家庭は病気と死の家庭であった。たしかに、わたしは、この不幸に打ち勝つことはできなかった。だから、このことは、わたしの芸術にとって決定的なものであった。「生命のフリーズ」は、のろいに似た天性のような関係をもっている。といって、このことがわたしの芸術を醜悪にせねばならぬということではない。その反対で、わたしの芸術は健康な反作用であることを、わたしは感じている。わたしは絵を描いているとき、決して病んでいることはなかった」 ※3
■創作に対する基本的な態度、考え方を表すものとして… 「わたしは自然から描かない。そこからわたしの主題をとり、あるいはその豊饒さから引き出すだけなのだ。わたしはわたしがいま見ているものでなく、かつて見たものを描くのだ。カメラは絵筆やパレットと競うことはできない。それが地獄や天国で使われ得ない限りは」 ※4 「芸術は自然のアンティテーゼである。芸術作品は人間の内部からのみ生じうるものなのである。人間の神経、心、頭と眼を通して現れた絵画の形が芸術なのだ。 芸術とは人間の結晶作用への衝動である。自然はそこから芸術が美味いものをたっぷり食べる唯一の、偉大なる王国である。自然は眼に見えるものであるばかりでなく、それはまた心の内的映像、眼の裏側の映像をも表している。 芸術は人間の結晶への衝動である。結晶と同じく芸術作品もまた魂と輝きを放つ力とを持たなければならない。もし君が子供たちのグループに石を投げるとすると、彼らはちりぢりになるだろう。それからグループがまた集まり、行動が起こる。それがコンポジションなのだ。色、線、面によってこの再編成を表すことが芸術の、絵画のモティーフのひとつなのだ」 ※5
■代表作のひとつである『マドンナ』の本人の解説ともいえるものとして… 「生命の絆が結ばれるところ。 マドンナのあおざめた美しさ−−この女を通して生命が流動する瞬間がやって来た−−千年も昔から続いたくさりが、さらに結ばれる−−生命がふたたび生命を生み、そして死んでいくために創られる−−創造の場、女の唇には痛みが見られ−−その片隅に死人がいると思うと−−二片の唇の間には、生命の喜びが溢れる−−」 (画家のスケッチブックのなかから)※8 「室内はもうたくさんだ。読書する人や編物をする女はもうたくさんだ。彼らは呼吸し、感じ、苦しみ、愛する生きた人間でなければならない」 ※9 「ぼくには、仮面の背後にある人間の姿がすべて見える。微笑みを浮かべ、落ち着いた顔――墓場に通じる入り組んだ道を、せわしく急ぎ歩く、血の気のない屍だ」 ※10
『サン・クルー宣言』 音楽と色彩が私の考えを奪ってしまった。私の考えは軽やかな雲を追い、柔和な曲に乗せられ、楽しいはなやいだ夢の世界へと入って行った。 私は何かをやるのだ――たやすくできるという感じがした――私の手のうちで、それはまるで魔術のようにできあがるだろう――そしたら見せてやる――。 頑丈なむきだしの腕――褐色のがっしりした首――隆々たる男の胸板に若い女が頭をもたせかける――。 女は目を閉じたまま震える唇を開き、その打ち乱れた長髪に囁きかける男の言葉に聞き入っている。 私は、今見たとおりに――しかし、青味がかかったもやの中に――形どるのだ。もはや自分自身ではなく、数限りない世代と世代とを結ぶ絆の一環にすぎない瞬間の二人を――。 人々はそこに聖なるもの、雄壮なるものを把握し、あたかも教会の中にいるかのごとく脱帽するだろう――。 私は、そのような作品をこれから数多く制作しなければならぬ。もうこれからは、室内画や、本を読んでいる人物、また編み物をしている女などを描いてはならない。息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描くのだ。 私は、私がそれをやるのだと感じた――難なくやれるだろう――肉は自ら形をとり、色彩は活きてくるだろう――。 」(稲富訳) 三木宮彦 『ムンクの時代』 発行:東海大学出版会 1992 p106
■《女性三相》を文学者イプセンが興味を持ち、それに説明したときのものとして 「これは夢見る女です――これは生命の欲望に燃える女です――木の背後に青白く立っているのは尼僧となった女です…」 (稲富正彦:訳『評伝エドヴァルト・ムンク』 発行:筑摩書房 1974) 三木宮彦 『ムンクの時代』 発行:東海大学出版会 1992 p168
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言葉の流用・引用先文献
※1〜5 土方定一 「オスロのムンク美術館とエドワルド・ムンク −−この、近代の人間の魂の肖像画家」 『ムンク版画展』 発行:日本経済新聞社 1977 ※6、7 アルネ・エッグム 「エドワルド・ムンク−−モティーフのあらたな定義」『ムンク版画展』 発行:日本経済新聞社 1977 ※7 浅川泰 「ムンク−−風景のメランコリー」 『スカンディナビア風景画展』 監修:トシュテン・グンナション、ミカエル・アールンド 発行:読売新聞社、美術館連絡協議会 2002 ※8 『ムンク版画展』 出品目録作より 発行:日本経済新聞社 1977 ※9 千足伸行 「近代絵画の色彩:ドラクロワからフォーヴィスム、表現主義へ」 『メルツバッハー・コレクション展』 監修:千足伸行 発行:東京新聞 2001 p29 ※10 三木宮彦 『ムンクの時代』 発行:東海大学出版会 1992 p28 |
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