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美術家の言葉 |
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■オリジナリティ、ということについてのマザウェルの見解 「私は完全な継承派でした。と言うのも、私がオリジナルだと思うものは、その人間自身の存在から発生するものであって、誰もオリジナルであろうなどとと頑張る必要などないからです。ある確立されてた伝統の中で仕事をしていれば、その人のオリジナリティは黙っていても現れてくるものです」 ※1
■マザウェルが、制作において常に意識していたことのひとつとして… 「それまでの人生を通じて、私が最も尊敬する20世紀の画家はマティスでした。しかし、私が(本格的に画家として)足を踏み出そうとしていたその特殊な時期、私は、意識的にというよりも無意識のうちに、モンドリアンにひかれました。同時に、私は、フランスのシュルレアリストたちの中に在り、無意識や、自由連想、自動筆記(オートマティズム)などの問題にも非常に関心がありました。だから、私は、それ以来ずっとと言ってもいいと思うけれども、画面の上にあって全く無関係に見える要素をどうすれば統合することができるか、ということに挑戦し続けているんです。実際、時々、それは可能だと思うのだけれど…」 ※2
■装飾的と装飾的でないものとを隔ていることについてのマザウェルの見解 「つまり、装飾的(デコラティヴ)であるものとそうでないものを隔てるのは、究極的には、感情(フィーリング)の強度の度合いということです。これは、価値判断を含む私自身の感情と矛盾するどころか、むしろ合致しています。なぜなら、人が見えるものについて深い感情を抱くならば、それこそ、その人にとって価値あるものか、あるいは逆に、邪悪なものだからです」※3
■自身の作品に政治的なタイトルがついている(「スペインの哀歌」など)ことのひとつの理由として… 「まぁ、結局のところ、僕は大恐慌時代の子供ですからね。あの時代の中で、社会的な意識を発展させないというのは、よほど無神経な人じゃないと無理な話でしょう。とくに、その人が芸術家だったり、インテレクチュアルだったり、ことにその両方だとすればね。…(中略)… 第二次世界大戦の前の僕たちの世代にとって、大きな分かれ道はスペイン市民戦争でした。現在、ヴェトナム戦争について強い感情を持たない知的な若者を探すのが難しいように、その当時、創造的な人で、市民戦争について激しい感情を持っていない人を見つけるのは難しかったと思います。一方でわれわれは、その戦争をとても単純化していたんですが。それは、リベラルな民主主義とファシズムの間の明瞭な対立のケースであり、スペインが近代的な文明に移行しえる多分最後のチャンスだろうというふうに見えていたんです」 ※4
■マザウェルの時代にとっての絵画とはどのようなものであったのかを現すものとして… 「芸術家の問題とは、自分を何と同一視するかということである。中産階級は衰えつつあり、意識的な主体としての労働階級は存在しない。そこから、現代画家が、お互い同志のたに絵を描くという傾向が出てきたのである」 「絵画は、従って、色彩と空間の中で自己を実現する精神なのだ。最も偉大な冒険が、この野蛮な統制時代に、精神の中で起こるのである」 ※5
■抽象表現主義絵画のなかで、たびたび取り上げられる“悲劇的感情、崇高な感情の表現”ということの理解の一助となるものとして… 「芸術家が彼の個人的苦悩を超越し、金切り声を上げる世界のただ中で生きることの意味と、生の到達点である沈黙と秩序を表現しようとする時に崇高になる」 ※6
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<ロバート・マザウェル関連の書籍>
美術家の言葉の引用・流用先 ※1 『現代美術は語る ニューヨーク 1940−1970 』 著:エミール・ディ・アントニオ、ミッチ・タックマン 訳:林道郎 発行:青土社 1997 p76 ※2 同上p77 ※3 同上p84 ※4同上p111 ※5 『ニューヨーク・スクール』 著:ドリー・アシュトン 訳:南條彰宏 発行:朝日出版社 1997 p221 ※6 同上p258
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