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美術家の言葉 |
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■モネにとって、最も重要で頭から離れなかったものを表すものとして… 「………ある日私は、最もいとおしかった女性の亡骸の枕元に佇んでいた。そして私は、もはや動かない彼女の顔に死が刻印しようとする色彩のグラデーションの具合と変化を、無意識のうちに追い求めようとしている自分に驚いた。青や黄色、灰色などの色調だった。 ………永遠の別れを告げる人の最後の姿を写し取りたいという欲求は、ごく自然なものだ。けれども、私が心から愛着をもっている面影を描き留めようという考えよりも前に、色彩の衝撃によって身体が勝手に震え出し、自分自身知らぬまに、日常生活の中で繰り返されるような無意識のうちの反射神経が動いてしまったのだ」 G.Clemanceau,Claude Monet,les Nympheas,Paris,1928,pp.19-20 ※1 「たぶん青とバラ色を嫌う者たちをわめかせることになるだろう。というのも僕が描こうとしているのは、まさにこの夢のような光、この輝きなのだから。(………)あらゆるものが玉虫色にきらめき、パンチ酒のような赤い炎をあげている。すばらしい風景だ」 (1884年3月 デュラン=リュエル宛の手紙) ※2
■モネの制作に対する態度を表すものとして… 「ほんとうに海を描くには、その場所の生活を熟知するため、同じ所で、毎日、毎時間、眺めつづけなければならない。だから、僕は同じモチーフを4回も6回も繰り返し描き続けている」 (アリス・オシュデ宛の手紙 ベリール島から 1886年10月30日付) ※3 「自然を前にしていた時は、何でもできるし描ける気がするんだが、実際に仕事に取りかかると、これが全然だめなんだ。(……)つまり、いつも絵のことだけを考えていなければならないということなんだ。発見に至るには、しつこい観察と省察しかないのだから」 (バジール宛の手紙 オンフルールから 1864年7月15日付) ※4 「あなたと同様に、私も今年<睡蓮>の連作を展示できないことは残念です。こんな結論に至ったのはそれが不可能だからです。………最大限に見ても展示可能なものは5〜6点しかありません。その上少なくとも30点は破壊してしまいましたが、それでまったくよかったと思っています」 (1907年4月27日付 デュラン=リュエル宛の手紙 L.1832,深谷克典訳 ♯1p.273) ※5
■連作を描いた理由ともなるもの、そしてモネが晩年に求めたものについて… 「さらに、この新しい連作をわずかな数でもよいから展示するというのは、大変間違った考え方だと思います。なせならその全体的な効果は、まとまった数の作品を展示したとき初めて可能となるからです」 (1907年4月27日付 デュラン=リュエル宛の手紙 L.1832,深谷克典訳 ♯1p.273) ※5 「私は以前、一つの部屋を睡蓮だけで装飾したいと思ったことがありました。周囲の壁は水平線も岸もない水というただ一つのモチーフによって覆われるのですが、これによって全体に無限の幻影を作り出すことが目的でした。そこでは仕事で疲れきった神経を休め、穏やかで静かな水の風景によって心は癒され、そこに暮らすすべての人にとって、この部屋は花咲く水槽の真ん中で平和な瞑想に浸ることができる安息所のようなものになるでしょう」 (深谷克典訳、Claude Roger-Marx,"Les Nympheas de Claude Monet",Gazette des Beaux-Arts,juin 1909,p.529) ※6
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<クロード・モネ関連の書籍>
美術家の言葉の引用先、流用先文献 ※1 「オルセー美術館展1999−−19世紀の夢と現実」 編集:高橋明也 発行:日本経済新聞社 1999 p.226 ※2 『モネ−−印象派の誕生』 著:シルヴィ・パタン 監修:高階秀爾 訳:渡辺隆司、村上伸子 発行:創元社1997 p88 ※3 同上 p.93 ※4 同上 p167 ※5 「モネ−−睡蓮の世界」 編集:安井裕雄、沼辺信一、深谷克典 翻訳:山崎由美子 発行:中日新聞、NHK、NHKプロモーション 2001 p132 ※6 同上 p132
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