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美術家の言葉 |
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■色彩についての意見として… 「最後に色はとても正確に聞き分けることができる。そのために派手な黄色をピアノの低音部で再現しようとしたり、あるいはダーク・レイクをソプラノの声として示そうとするような人はまずいないであろう」 「色彩はピアノの鍵盤である。眼はピアノのハンマーである。魂はたくさんの弦を張ったピアノである」カンディンスキー著作の『芸術における精神的なものについて』第5章 1911 ※1
■抽象的な形態・フォルムとその色彩についての見解として… 「かたちは、たとえそれがまったく抽象的で幾何学的な図形に等しいものであっても、それ自体で内的な響きをもっていて、同一の性質を共有するひとつの精神的存在である。三角形(鋭角とか鈍角とか、二等辺とか、などの細かい規定がなくても)この種の存在であり、それ自体固有な精神的香気を放っている。ほかのかたちと結びついて、この香気は差異やズレを引き起こし、随伴的なニュアンスを響かせるようになるが、ちょうどバラの香りがスミレのそれと決して取り違えられたりすることがないように、根本において変わるところがない。同様のことが円、四角形、などその他さまざまなかたちについてもいえるであろう… ここにかたちと色彩の相互作用がはっきりと現れてくる。全面黄色一色の三角形、青一色の円、緑一色の四角形、それから同じ三角形でも緑一色のもの…、これらはすべてまったく別々の効果をもつ存在である。−−その際注意すべきは、色彩はあるかたちと結びつくとその価値が強調されるが、ほかのかたちと結びつけられるとぼやけてしまうということである。…多面では、かたちの色彩への不適合は必ずしも不調和と見なされるべきでなく、逆に新しい可能性、したがって新しい調和とも見なされてしかるべきことがあるということも、もちろん明らかである。色彩の数やかたちの数に限りがないのだから、その結合も無限にあることになり、同時にその効果も無限ということになる。この材料は無尽蔵である」カンディンスキー著作の『芸術における精神的なものについて』第6章「かたちと色彩の言語」 1911 ※2
■自作の“線”に込められた暗喩を解説するものとして… 「『点の自己完結した最高の安らぎを否定することによって』、把握されなければならない。「線」は点という絵画の基本要素に対する最大の対立項として把握されなくてはならない。「直線」は方向性にだけ表現力をもつ『無限の運動可能性のもっとも簡潔なかたち』を現している。たとえば、水平線は『冷たい無限の運動可能性のもっとも簡潔なかたち』であり、垂直線は「暖かい無限の運動可能性のもっとも簡潔なかたち』であり、対角線は『冷たさと暖かさを共有する無限の運動可能性のもっとも簡潔なかたち』である」 『パルコ美術新書 カンディンスキー』 ペーター・アンセルム・リードル著 金田晉・森秀樹 訳 発行:PARCO出版 p115よりの流用
■自身が考える絵画上の、そして現代美術の“ハーモニー”の見解として… 「音同士の葛藤、喪われた均衡、崩壊した原理、予期しない太鼓の響き、大きな疑惑、明らかに目標を欠如した努力、明らかに引き裂かれた衝動と憧憬、統一を崩す鎖と箍、対立と矛盾−−こうしたものがぼくらのハーモニーである。こうしたハーモニーに基づくコンポジションは色彩のかたちと線描のかたちの合成であるからだ。ただその際、二つのかたちはそれぞれ別個に存在し、しかも内的必然性に基づいて取り出され、そしてそこに生まれる共通の生命のうちに、絵と呼ばれるひとつの全体を形成するのである」 カンディンスキー著作の『芸術における精神的なものについて』第6章「かたちと色彩の言語」 1911 「リズムの法則は根源的なものだ。なぜなら、それは自然のなかにも、人間あるいは芸術のなかにも存在するからだ。作品とはいったい何か? 秩序のある意図された緊張がもたらす組織的で効果的なコンポジション。その目的は、完全な響きを表現することである」 カンディンスキー著作の『芸術における精神的なものについて』 ※10 ■制作態度において何が重要であるかを語ったものとして… 「私たちは、それが内的内容の外的表現であるゆえに、あらゆるかたちを認めるべきである。あらゆるかたちを正当(=芸術的)と思うべきである。…一般にもっとも重要なのはかたち(素材)ではなく、内容(精神)である。そして…かたちの問題でもっとも重要なものは、そのかたちが内的必然性から生まれたものであるかどうかである」 BIR,S.140f 「直覚と論理には作品を生み出す上で同等の権利があるのだろう。…作品の成立は宇宙的性格をもっている。作品の創始者はそれゆえ精神である。作品はそれゆえ固有の身体をもつ以前には抽象的に実存しているが、その作品が人間の感覚に到達するにはこの身体化を必要としている。それゆえこの身体を得るためにはどのような手段も正当化される。つまり論理も直覚も正当である。…だがどちからの要素も精神がコントロールしなければ、それだけでは不毛で死んだものとなるであろう」 Mein Werdegang.Gesammelte Schriften I,S.51f;引用S.53 「情動−感情−作品−感情−情動」 ヘルヴアルト・ヴァルデンの『シュツルム』誌掲載、作品の成立から受容までの道
■抽象表現における自覚、自負を現すものとして… 「…最初から最後までもっぱら理性的な方法を取るという、私のさまざまな試みが、真の解答へといたったことは一度もない。…抽象絵画の普通の作品はあらゆる芸術と共通の源泉、すなわち、直観から生まれる。それは作品が自然を模倣するものであろうとそうでなかろうと変わりない。確かに、そこでは理性もともに働いている。ただし、いつも第二次的な要素としてである」 Bentrachtungen uber die abstrakte Kunst,in:Cahiers d'Art,1931;Essays,S.134f (S.137f.引用)に再掲載 「今日、絵のなかのひとつの点がときに人間の顔以上のことを語ることがある。水平線に結びつく垂直線は、ほとんどドラマ的といってもよいような響きを生み出す。三角形の鋭角と円との接触は、実際にはミケランジェロの描いた神の指とアダムの指との接触に劣らない効果をもっている」 Bentrachtungen uber die abstrakte Kunst,in:Cahiers d'Art,1931;Essays,S.134f
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<カンディンスキー関連の書籍>
美術家の言葉の流用・引用先原典
※1、2 千足伸行 /<精神の眼>による風景 ドイツ・ロマン主義の現代への問いかけ,美術手帖 1978年3月号の中から ※10 ※『パリ、プティ・パレ美術館展 自然のヴィジョン:クールベ、モネ、セザンヌ、ドニ−−画家たちのアプローチ』 執筆:マリー=クリスティーヌ・ブシェ、ドミニック・ブドゥ、イザベル・コレ 発行:フジテレビジョン 1999 p87 その他は、『パルコ美術新書 カンディンスキー』 ペーター・アンセルム・リードル著 金田晉・森秀樹 訳 発行:PARCO出版 1996 |
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