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PALB>美術家の言葉 |
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■デュフィが不明瞭な形態を用いることのひとつの理由として…… 「私は1905〜06年頃、サン=タドレスの浜辺で制作していた。それまでは印象派がしたように浜辺を描いており、飽和状態に達していた。 自然を真似ることは、私を果てしなさと紆余曲折へ、さらに最も小さく最もつまらない細部まで導いていくことがわかった。私は絵画の外に留まった……私は腰を据え、絵具のチューブと絵筆を見つめた。それらをもっていかにして、私が見た物ではなく、私にとって存在するもの、私の真実を何とか描写することができるのだろうか? ……その日以来、私が視界に入ってくるものとの不毛な戦いに戻ることは不可能になった」 (Perez Tibi,1989,p.23) ※1
「音楽が音の詩であるごとく、絵画は視覚の詩であり、主題は音ないし色のハーモニーと無関係である」 ※2
■広義において自作の解説ともなるものとして…… 「次のことを覚えておいてください。私の作品には大地も奥行きもない、色彩がありその関係が空間を創り出すのです。それがすべてです」 ※4
■ラウル・ディフィの作品が、いかにして描かれているか(自作の技法の特徴)、またその技法に到達した思考を現わすものとして…… 「それ自体で光輝を引き出す絵具を用いて私は描いているが、実際には、色彩を光で照らすことで生活をあたえている太陽という天体がある。もしも私がそのような天体を絵具として使用できるなら、それを使って自分の色彩を照らすだろう。 だが、私の絵では、私の絵具が太陽を生み出すのであって、太陽によって生み出されるのではない。つまり、彩色された各個の対象はタブローにはない太陽の反射光を描いているのである。そして太陽そのものをタブローの中に描くときには、あなたはその色彩を黄色か白色にするが、さまざまな対象の光は、光源である太陽を表すために選んだ色彩で一様に描きはしない。それぞれの対象では、光が当たった部分においてさえ、太陽からの直射光、対象の固有色、客観的な色彩を構成しなおさなければならなくなる。 その光=色彩の調和と配分がコンポジションと調和を作り出すのであって、光に対して固有色をあたえることによってではない。あらゆる理論的な色彩の統合をしているからである。その点において私の色彩=光の描きかたが色彩の理論体系と結びつく」 (自身の手帖の中から、Cornet n゜6(整理番号 A.M,36-49-D,musee national d'Art moderne) ※5 「私は独自のシステムを発見した。その理論は簡単だった。太陽の光を研究するのは時間の無駄である。絵画の中の光はまったく別ものだ――それは構成され、配列され、彩色される」 ※3
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より理解のために
美術家の言葉の流用先、引用先 ※1 ※「ロー・コレクション 西洋絵画500年の巨匠たち展」 監修:マルク・レステリーニ、千足伸行 発行:アート・ライフ 1999 p246 ※2 『Dufy』 著:アルフレッド・ヴェルナー 訳:小倉忠夫 発行:美術出版社 1972 p114 ※3 同上 p25 ※4 『パリ近代美術館展』 シュザンヌ・パジェ、グラブィス・ファブル 「流派に属さない巨匠たち」 訳:小林晶子 発行:アート・ライフ 1999 p106 ※5 『デュフィ作品集』 著:ドラ・ペレス=ティビ 訳:小倉正史 発行:利風呂ポート 1993 p150―151 |
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