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美術家の言葉 |
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■アンフォルメルの画家として、創作自体が何を意味するのかを現わすひとつとして… 「同じたぐいのひどく明白な過ちを、私は、自分の絵のなかに残す傾向が(恐らく、かなり)あるように感じている。私が言いたいのは、例えば、無意識に描いてしまった筆の跡とか、粗雑な間違い、フォルムの明らかな誤り、現実をないがしろにしているもの、下手や色使いなどであり、こうしたものは全て、おそらくある種の人たちには絶え難いと思われる。それに、私自身にとっても、多くの場合作品の効果を台無しにしてしまうので、ある種の不快感を感じさせるのだ。 しかし、この不快感を、私は喜んで持ち続ける。何故かと言えば、それは、絵のなかで画家の手というものをはっきり目につくものにするからであり、客観的なものの支配を妨げるからであり、事物があまりにはっきりした形をとるのを止めるからである。それは、ふたつの方向を持った一種の流れを形作る。流れは、描かれた対象とその対象を描く画家というふたつの堅固な極の間に作られる」 (ジャン・デュビュッフェ 『ご婦人のからだ』 1953年/ジャン・デュビュッフェ 『パンフレットと全著作』 パリ、ガリマール、1967年) ※1
■デュビュッフェが西洋美術の文脈を拒否し、アウトサイダー・アートに固執し(それを広め)た、その意義の解説ともなるもの… 「このような(私の)絵画こそ、人間に、新しい神話と新しい神秘を授け、言物の思いもかけぬ様相を、道の価値を無限に啓示してくれるのだ」 ※2
■デュビュッフェが、ゆがんだ人物像を描く意図となるもの… 「私の意図は、デッサンが人物にどんな決定的な形もさし示めさず、逆に特定の形をとることをさまたげ、一般的概念と非物質性の状態にとどめておくことだ」 ※4
■デュビュッフェの代表的な作品(ほぼ同一の色彩カンヴァス全体が厚塗りされ、それに引っ掻いたような輪郭をつけていくもの)の背景にあるものとして… 「さらにこれらの絵が私にあたえるのは、一種の平和、さわやかで熱烈な安らぎ、静謐な高揚の平面である。芝生やむきだしで何もない平原の大いなる平安、沈黙したはてしないひろがり、何ものも同質と持続をみたさない。 私は、海、雪山、砂漠、草原のように、道も境界もない広大な同質の世界を愛し、私の手に入る絵にもそれと等価なものを切望する」 ※5
■デュビュッフェが晩年に到達した独自の形式の<ルールループ>の制作の仕方であり、その意図ともなるべきものとして… 「最初は、50×32センチのデッサンから始めます。風景を、そして別に一人か二人の人物を。次に人物を切り抜きます。そして、なんの顧慮もせず、風景の中に人物を挿し込むのです。ここに、美学的意図をもたないことが絶対の条件。 黒と白によるデッサンに命名したのち、空や雲に色を、人物や風景に色を与えます。赤と青と黒の三色。それから、このデッサンをスクリーンに透写拡大し、フェルトペンでその影を描くのです。この拡大は実に忠実、これこそ、私の以後の透し押し(アンブラント)となるでしょう――」 (1974年のポンピドゥー・センターでの「カステリア風景、三色光景」展でのメッセージ) ※3
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美術家の言葉の流用先、引用先 ※1 「身体と表現 1920−1980 ポンビドゥーセンター所蔵作品から」 編集:東京国立近代美術館、市川政憲、千葉成夫、中村和雄 発行:NHK、NHKプロモーション 1996 p148 ※2 小川栄二 「<知>の原生芸術 /ジャン・デュピュッフェ展・生のままの芸術」 『美術手帖1982年2月号』 発行:美術出版社 p120 ※3 同上 p130 ※4 「アート・ギャラリー 現代世界の美術 20 デュビュッフェ」 執筆:針生一郎、岡田隆彦、永澤峻、山口昌男 発行:集英社 1986 p15 ※5 同上 p29
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