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美術家の言葉 |
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■クレメンテが裸体の人物を数多く描き続ける理由のひとつとして… 「ぼくにとって観念を身体に関連づける必要があるのは、ひどくやっかいなことなのだ」 「皮膚は肉体の内側の空間と外側にある共有地だということだ。それは両側から共有される空間のようにも思える」※1
■クレメンテ作品がプリミティプな要素を含むといわれる所以ともなる、自身の考え方(主題要素)のひとつとして… 「数千年前にナポリからいなくなった神々が、まだインドにはいる。だから私にとって(インドは)まるで故郷に帰ったようだった」 ※3 「私は女性であると信じています。つまり男性は女性であり、女性は男性であると信じているのです。けれども元々これは絵画の最も古いテーマの一つなのです」 ※2
■クレメンテの広義な意味での自作解説のヒントともなるものとして… 「私は、人の体に興味を持っている。肉体は、われわれが外に示すものと内に感じるものとのあいだにたつ指揮者だからだ。それらはわれわれの目に、われわれの口に現れる。人間の顔が裸であることは、私にとってこのうえないアトラクションだ。それは、肉体の一部であるのに隠されることがない。私は私自身を見つめ、私の顔が絶えず変化しているのを知る。実際このように、イメージはいつも、同じということがないのだ」 ※4
■クレメンテが好ましく思う美術家(ピカビアとキリコ)のその理由として(ある意味で、自身の作品にも反映している要素について)… 「かれらは自らの探究の誠実さを保証するために素人であると主張しつづけるとともに、思想は時代の人質にとられてしまったが、エロティズムとユーモアはいまだ自由であることを示してくれた」 (Tony Godfrey,The New Image, Phaidom Press 1986) ※5
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<フランチェスコ・クレメンテ関連の書籍>
美術家の言葉の引用先、流用先 ※1 『バイエラーのまなざし:印象派から現代へ・美の系譜100年』 編集:北海道立近代美術館、ハウステンボス美術館、京都市美術館、日本テレビ放送網 発行:日本テレビ放送網 1996 p172 ※2,3 同上 p174 ※4 『ニューヨーク・アーティスト50人』著:リチャード・マーシャル 訳:木島俊介 発行:同朋舎出版 1992 p30 ※5 『現代美術 ウォーホル以後』 編:美術手帖編集部 発行:美術出版社 1990 p88
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