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美術家の言葉 |
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■セザンヌが制作以前に、注意していたことを現わすものとして… 「……自然は私にとって実に複雑に思われます。そして成し遂げるべき進歩は無限に続きます。モデルをよく見、正しく感じ取らねばなりません。そしてさらに、弁別をもって力強く自己を表現しなければなりません。 ……芸術家は、性質の知的観察に基づかない判断を軽視せねばなりません。文学的精神にも慎重である必要があります。これは実にしばしば画家をしてその真の道、すなわち自然の実際的な研究から遠ざけ、曖昧な思弁の中に長い間迷い込ませるのです。ルーヴル美術館は参照すべき良書です。しかし、これも一つの手段に留まらねばなりません。真の素晴らしき研究すべき対象は、自然の情景の無限の多様性なのです」 (1904年5月12日付 エミール・ベルナール宛の書簡) ※3 「多少苦労しながらではありますが、私は日々ますますこれ[実現](レアリザシオン)に達しつつあると思います。というのは、もし自然の与える強烈な感覚―があらゆる芸術創造にとって欠くべからざる基礎であり、未来の作品の偉大さや美しさがこの基礎のうちに存するのだとしても、われわれの感動を表現する諸手段についての知識も、これに劣らず本質的であって、きわめて長い経験によってのみ獲得されるものなのです」 (『セザンヌの手紙』) ※1
■セザンヌが作品制作において最も重要視していたことともいえるもの… 「いくつもの面(プラン)の核心がひとつに融合する彩られた場所、プリズムの熱の発生、いくつもの面(プラン)の陽光のなかでの出会い。私はパレットの上で、色調(トーン)によって面(プラン)を作ります。 ……それらの面(プラン)を組み合わせ、融合させることです。面(プラン)が丸みを帯び、それと同時に、物の間に割って入らなくてはなりません。量感(ヴォリューム)だけが肝心なのです」 (ジョワシャン・ガスケ『セザンヌ』1921年) ※5
■セザンヌが考える“量感”や“絵画”とは何か? を現わすもの、またそのひとつの例として… 「わたしたちは皆、このドラクロワのなかにいます。純粋な色彩そのものの喜びについてあなたに話すとき、私が言おうとするのはこれです。……この絵は濃密です。絹織物のように、色調が互いに交錯している。すべてが織り上げられ、全体として仕上げられている。だからこそ、丸みがある。偉大な画家たち以後、量感が描かれたのはこれがはじめてです」(ガスケがルーヴル美術館でドラクロワ作《アルジェの女たち》を前にして話したこととして) ※4 「これこそ絵というものです。部分、全体、量感、色価、構成、震え、すべてがここにある」(ヴェロネーゼ作《カナの婚礼》について語った言葉として) ドラン『セザンヌ回想』p229 ※2
■セザンヌがたどり着いた技法のひとつとして… 「自然を円筒形、球形、円錐によって扱い、すべてを遠近法のなかに入れなさい。つまり対象や画の各側面がひとつの中心点に向かっていくようにしなさい。――地平線に平行な線は広がりを、つまり自然の一断面を与えます。あるいはお望みならば、全知全能にして永遠なる神が私たちの眼前に広げてみせる光景の一断面と言ってもかまいません。 この地平線に対して垂直な線は深さを与えます。――ところで私たち人間にとって、自然は表面よりも深さにあります。それで、大気を感じさせるために、赤と黄で描写される光の振動のなかに、充分な量の青系統の色を導入する必要が生じます」 (ベルナールへの手紙) ※6
■若き日のセザンヌの野望と自信? を現わす口癖だった言葉? 「りんごひとつでパリを征服してやる」 ※7
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<ポール・セザンヌ関連の書籍>
美術家の言葉の引用先、流用先文献 ※1 『セザンヌ展』カタログ 編集:横浜美術館、愛知県美術館、NHK、東京新聞 発行:NHK、NHKプロモーション、東京新聞 1999 p29 ※2 同上 p25 ※3 同上 p79 ※4 同上 p112 ※5 大屋美那 編 年譜 『セザンヌ展』カタログ 編集:横浜美術館、愛知県美術館、NHK、東京新聞 発行:NHK、NHKプロモーション、東京新聞 1999 p188 ※6 同上 p189 ※7 永井隆則 作品解説 『パリ・オランジェリー美術館展』 監修:木島俊介 発行:NTV、Bunkamura 1998 p197
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