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絵画の制作技法・構造と効果 目次

 

ブルジョア作品の根底にある、自身の体験として…

 「両親はタペストリーの修繕の仕事をしていたので、私はよくすり減ったり破れてしまった部分を補うのを手伝った。だから私の作品には、手足のないものがあるのだ。古いタペストリーに欠けた部分があるように。母が17世紀のタペストリーを持っていたことによって起こった事件がある。そのタペストリーには、キューピットの模様があった。しかし、父はアメリカ人やイギリス人のコレクターを意識して、母にキューピットの陰部を切り取らせた。ピューリタントであるアメリカ人やイギリス人のコレクターは、陰部のついたタペストリーなんて買わないと思ったからだ。(…中略…) 私の作品は、子供の頃に家族に対して抱いていた不安から生まれたものである」 ※6

 

自作のテーマがどのようなものであるかの、解説ともなるものとして…

 「痛みという主題こそ私の専門だ。不満や苦痛に意味と形を与えること。私の身体に起こったことには形式的な相が与えられなくてはならない。だから、痛みとは形式主義への身代金なのだ」 (横浜美術館でのブルジョワ展カタログの中でのルイーズ・ネリによる引用) ※8

 

自身の作品が、人々にどのような作用をもたらしえるかと考えているかについて…

 「私は精神分析を受けたことはない。精神分析が、とても深いところにある何かに問いかけることはできないと思うからだ。しかし、私の作品にはそれができる。フロイトは女性とは何かが欠けている人間だ、というようなことをいったけど、私はそうは思わない。そう思いながらも不安でいっぱいだ」 ※7 

 

ブルジョア自身にとって、制作において重要視していることのひとつを表すものとして…

 「実のところ、ある人の理論(デカルトの、象徴の、あるいは女性の)インスピレーションによって理解するのは不可能だということになっている。そうすることは退化と同等のことと思われてきているしまつで、私としてはそのような考えは受け入れられない。私たちはみな、インスピレーションの前兆を知っている。だからそれは科学的なのだ。私はその状態を「制御された高揚(コントロールド・ハイ)」と呼んでいる」 ※3

 

自身の作品群がシリーズとして多々存在することについての、ブルジョア自身の意味として…

 「しかし、彫刻が完成したと思ったことは一度もない。ある時点で創作の作業を終えるのは、それ以上に変えてしまうことによって何かを失いたくないからである。私のすべての作品はシリーズになっている。なぜなら、そのテーマに決して満足することはないし、飽きることもないからだ」 ※5

 

90年代以降の《セル》シリーズおよび広義において自作の解説ともなるものとして…

 「私は痛みを消滅させることができない。なぜなら痛みはここにあるからだ。「セル」は痛みの異なったタイプを表象している。すなわち、生理的なもの、感情的なもの、心理学的なもの、精神的なもの、そして知的なもの、である。それぞれのセルは恐れに関係している。恐れは痛みだ。それはしばしば痛みとは知覚されない。なぜなら、恐れはいつもそれ自身を隠しているからだ」 (クリスチャン・リーの文章より) ※9

 「私はシュルレアリストではありません。実存主義者です」 ※4

 

 


 

 

  

 

 

 

 

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美術家の言葉の引用先、流用先文献

※3 『ニューヨーク・アーティスト50人』 著:リチャード・マーシャル 訳:木島俊介 発行:同朋舎出版 1992 p24

※4 高島直之 「ルイーズ・ブルジョア 絶対隔離の方法論」 『美術手帖1995年1月号 特集:90年代の海外注目アーティスト』 発行:美術出版社 p169

※5 『THE NOW ART BOOK』 監修:ヴァルデマー・ヤヌシャック テキスト:セリア・リッテルトン企画編集:資生堂企業文化部ザ・ギンザアートスペース『ル・ミレニュム』編集部 平山景子、豊田佳子、深井さえ子 発行:光琳社出版 1996 p23

※6,7 同上 p24

※8 小林昌廣 「ルイーズ・ブルジョア 横浜美術館『ルイーズ・ブルジョア』展 反対の一致」 『美術手帖1998年3月号』 発行:美術出版社 p103

 ※9 同上 p104