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美術家の言葉 |
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■ハンス・ベルメールが、“身体”の何に惹かれていたのかを現わすもののひとつとして… 「十字架にかけられた蒼白のイエスの足もとにひざまずき、涙にくれているマグダラのマリアを思い浮かべるがいい。苦しみの内に彼女は、両手ばかりか、頭や髪、その身体を包み込むぼろぼろの着物、そして足の指に至るまでよじっている。人間の反応や振る舞いが、身体全体に現れていなければ、ニュース写真であろうと、芸術の傑作であろうと、もう私の興味をひきはしない」 (「ハンス・ベルメール展」カタログ、パリ、国立現代美術センター、1972) ※1
■ベルメール作品において、身体の一部のみが切り取られて描かれていたり、人形の身体がさまざまに変形して結合されていることの意図、意味を現わすものとして… 「人間の身体は、字謎遊びの文章に似ている。そこでは無限に繰り返される字謎遊びによってその真の意味を再創造するために、文章はばらばらにされるのである」(『肉体の無意識の小解剖あるいは、イメージの解剖』 1957、パリ) ※2
「実際いかにして―-その豊かさを損うことなく――小さな少女の内部組織を描写することができるだろうか。少女は座っている。左肩を持ち上げ、腕を伸ばして、もの倦く机に身を投げ、肩や胸の筋肉の間でその顎を本能的に愛撫するのを隠して。したがって頭の重量が肩と腕の重量に加わり、圧力は机の端ではね返されて筋肉にそって徐々に力を減じて流れて行き、肘のところで少し止まり、そしてさらに弱くなって持ち上げられた手首のところに伝わり、最後は手の裏側を滑って、人差し指の先の机の上の小さな角砂糖のところで終わる。 ……顎の位置が直感的に陰部と腋の下との類似を示すや否やイメージは二重になり、内容は混ぜ合わされる。そしてそこに現実と想像されたものとの、容認されたものと禁じられたものとの二つの成分の特異な混合物ができあがる」(「人形」 ベルリン、1962) ※3
■ベルメールが人形を使用した作品を制作する際に注意を払っていたことのひとつ… 「感情をいっぱいに詰め込んではいるが、表象や虚構の現実でしかないという疑わしさを持ったそうした人形が、外の世界に、出会いの衝撃のなかに、その実在の確かな証拠を見つけに行くためには、一方でその外の世界が、つまり木や階段、あるいは椅子といった知覚に過ぎない疑いのあるものからなる世界が、私というものがそこで君というものから集めたものを見せなければならないのだ。 一言でいえば、人形という客観的現実のアマルガム、主観的であると同時に客観的であるが故に、明らかに至高の現実を備えたアマルガムが形作られなければならないのだ」(「球体の接合部についてのノート」、『ベルメール:人形遊び』 パリ、エディション・プルミエール 1949) ※4
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<ベルメール関連の書籍>
美術家の言葉の引用先、流用先 ※1,4「身体と表現 1920−1980 ポンビドゥーセンター所蔵作品から」 編集:東京国立近代美術館、市川政憲、千葉成夫、中村和雄 発行:NHK、NHKプロモーション 1996 ※2,3 「SURREALISM」 解説:UWE M,SCHNEEDE 訳:山脇一夫 発行:美術出版社 1980 p128
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