|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
Willem de Kooning |
|
ウィレム・デ・クーニング |
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||
| 経歴 1904 オランダのロッテルダムで飲料会社オーナーの家庭に生まれる。5歳のときに両親は離婚。 中学を中退し、地元の商業美術と装飾会社の従弟として働く。夜はロッテルダム・アカデミー・オブ・ファインアーツ・アンド・テクニックスで学ぶ。卒業後、ロッテルダムのデパートの美術担当デザイナーのもとで働く 1926 蒸気船でアメリカに密入国する。ニュージャージー州でオランダ海員寮に住み、家屋塗装職人として働く 1927 ニューヨークに転居。ディスプレーや看板描きなどの仕事を始める。35年まで同様の仕事を行う。 この間にアーシル・ゴーキーと出会う 1934 アーティスト・ユニオンに加わる 1935 公共事業促進局の連邦芸術計画でフェルナン・レジェと仕事をするが、市民権を得ていないため、その職から離れる 1936 NY近代美術館のグループ展「アメリカ美術の新地平線」に出品。グループ展へのはじめての参加であった 1938 女性像シリーズの制作をはじめる 1942 ジャクソン・ポロックと知り合う>マクラミン社のためのグループ展に出品。NYの画廊で初めて作品が展示される。同展にはポロック、ブラック、マチスなどの作品も展示された 1943 37年に知り合ったエレンと結婚。フランツ・クラインとも出会う 1946 白と黒の抽象画のシリーズの制作をはじめる 1948 チャールズ・イーガン画廊で初めての個展開催。NY近代美術館が作品を購入。ホイットニー美術館の「現代アメリカ絵画年次展」に出品 1950 代表作のひとつ『女T』の制作を始める。第25回ヴェネツッア・ビエンナーレの参加者に選出され出品。出品作は『発掘』など。 1951 アート・インステチュート・オブ・シカゴでのアニュアル・アメリカン展で『発掘』がローガン・メダルを受賞し買い上げとなる 1953 シドニー・ジャニス画廊で『女』シリーズの個展。アメリカ社会のセックス・シンボルほの固執を反映しているとも(マリリン・モンローという題名の作品もある) 1954 第27回ヴェネツッア・ビエンナーレ出品。26作品を展示し『女T』も展示された 1956 第28回ヴェネツッア・ビエンナーレに出品。この頃に制作途中に新聞紙を使用し(絵具が必要以上に厚く盛れないように)その跡が画面に残り、その画像までも取り込んだ作品もある 1957 抽象的風景画の制作をはじめる(全面的な抽象への復帰)。フランツ・クラインと共鳴し合うような作品も制作 1961 市民権を得る。作品の色彩がより明るくなっていく 1963 女性像の新シリーズの制作をはじめる。より官能的で明るい色彩、フォルムはより抽象的で性的なものになる 1964 素描の個展をNYのジェームズ・グッドマン画廊で開催。グッゲンハイム国際賞を受賞。ジョンソン大統領から大統領自由勲章を受ける 1965 スミス・カレッジ美術館で初めての回顧展 1968 パリへ旅行。パリのノードラー画廊でヨーロッパで初めての個展。NY近代美術館が組織した大規模巡回展がアムステルダム市立美術館で開始。 1969 ローマ滞在中に初めての彫刻制作を行う。日本にも滞在 1971 パリのノードラー画廊で初めてのリトグラフ個展 1974 キャンベラのオーストラリア国立美術館が『女X』を購入。アメリカ現存作家としての最高値の85万ドル 1975 アメリカ芸術文学院から絵画金賞を授与。イースト・ハンプトンの環境を反映した抽象画制作をはじめる 1979 オランダ政府からオレンジ=ナソウ勲章を受ける 1983 アムステルダム国立美術館で回顧展。デンマーク、ストックホルムなどを巡回。 ホイットニー美術館で大規模回顧展。ポンピドゥ・センター、ベルリン芸術アカデミーを巡回 1997 死去
|
|
<国内で見られる主な絵画・所蔵品>
|
|
より理解のために <デ・クーニング関連の書籍>
参考文献 「モダン・マスターズ・シリーズ ウィレム・デ・クーニング」 ハリー・F・ゴーグ著 桑原住雄・斉藤泰嘉 訳 美術出版/アベヴィル・プレス共同出版 発行:美術出版社 1989 『美術手帖1968年8月号 特集:ハプニング/デ・クーニング』 発行:美術出版社 『現代美術は語る ニューヨーク 1940−1970 』 著:エミール・ディ・アントニオ、ミッチ・タックマン 訳:林道郎 発行:青土社 1997 p74
|
|||||||||||||||||||||||||||||