George Frederic Watts


  

  ジョージ・フレデリック・ワッツ


  

  

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経歴

 1817 イギリスはロンドンのピアノ製造業者の家庭に生まれる。病弱なため学校にはいかず、幼少の頃から彫刻家ウィリアム・ベーンズのアトリエに出入りし、素描や古代ギリシア彫刻を学ぶ。

この時に知った大英博物館所蔵のパルテノン神殿の大理石彫刻群が生涯の霊感源にもなる

1835 ロイヤル・アカデミー美術学校に短期間入学

1837 展覧会に出品をはじめる

1842 国会議事堂の壁画計画のコンクールで一等を受賞。

国会議事堂の壁画の仕事で得た賞金でイタリア旅行へ

イタリアに4年間滞在し、その間に英国大使のポランド卿と親交

イタリアから帰国後、心霊現象も研究。心霊研究会のメンバーでもあった、詩人のテニスンやラスキンらとも知り合う

1850 当時のイギリスの社会問題をとりあげた『身投げ』を制作

1853 イタリアを再訪。ヴェネツッア派の絵画を研究。

1856-57 考古学者チャールズ・ニュートンの発掘調査に同行しアジア方面を訪れる

自身の理念を託した自作は販売しようとはせず、大作は晩年に、サリー州の田舎に建てた家に展示した

イギリス王エドワード7世の肖像画も手掛ける

1862 ラファエル前派も好んだ主題、マロリーの小説「アーサー王の死」からの『サー・ガラハット』を制作

1864 女優のエレン・テリーと結婚。年齢差が30歳も違うためか、翌年に離婚

1867 ロイヤル・アカデミーの正会員に選出される

1870年代 ラッセル・バーリントン夫人が熱烈な擁護者となる。彼女は1905年にワッツの伝記も記す

1880年代 モニュメンタルな単純化に作風が変化していく

1880 パリのサロンに出品し、評価を高める

1883 ロンドンのグローヴナー画廊で作品展示

1897 パブリック・スクールのイートン校から所望され、ガラハットを主題とした絵画を制作し寄贈

1898頃 スコットランドへ旅行。ネス湖などを描く

1899 『嘆く天使』を制作

1904 ロンドンで死去

 ワッツはひとつのテーマを数十年にわたって追求したといわれている。また寓意画を用いて精神の思索の視覚化をめざした

 

 

  

 

 

 

  

 

 私にとってワッツは『希望』(1886年作)1枚で成立してしまう画家です。

 ちなみに『希望』の画面は、地球を模した球体の上に、怪我で視力を失ったと思われる(頭部に包帯が巻かれている)女性が、たった一本だけ残った竪琴の玄をはじき、唯一残った希望の音に耳をかたむけているところを描いた寓意画です

 直接的なテーマ表現、極めて道徳規範的、ナイーブによりがちではありますが、画面から得られるイメージの喚起力は強烈です。

 9.11のテロ以降、さまざまなプロジェクトをアーティストたちが立ちあげています。しかし、アメリカの戦争の仕掛け方などをリアルタイムでまのあたりにし、また現在の日本社会の在り方を見るにつけ、もっと日常的な規範権力の構造について意見表明や暴露する日本の作品がでてこないかな、と思います。

 そして寓意画は、こうした表現においてうってつけだと思うのです。とにく閉塞感が強まる絵画において…。大きな物語は死んだといわれるポスト・モダンの時代だからこそ。

 

参考文献

「世紀末ヨーロッパ 象徴派展」 監修:カトリーヌ・クロエス、フランソワ・ドールト、木島俊介 発行:東京新聞 1996 

「ウィンスロップ・コレクション フォッグ美術館所蔵19世紀イギリス・フランス絵画」展 編集:喜多崎親 大屋美那 作品・作家解説:荒川裕子、井上友子、喜多崎親、大屋美那、山口恵里子 発行:東京新聞 2002