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Nicolas de Stael |
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ニコラ・ド・スタール |
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| 経歴 1914 帝政ロシア末期の首都サンクト=ぺテルスブルクの名門貴族出身の家庭に生まれる。臨時革命政府により父が解任され、家族とポーランドに亡命。そこで、両親が亡くなり、ブリュッセルのフリセロ家にあづけられる。 その後、サン・ジル美術学校、ブリッュセルの王立美術学校で学ぶ。 在学中にオランダ、フランス、スペインに旅行。 1936 ブリュッセルのディートリッヒ画廊にスペインの水彩画やビサンチン様式で描いたイコンを出品 1937 女性画家のジャニーヌ・ギユーと知り合い、アルジェリアへ旅行。 1938 二人でイタリア旅行後にパリに移住。フェルナン・レジェのアトリエで3週間ほど制作も。 1939 戦争勃発とともに志願。画商ジャンヌ・ビュシェと知り合う 1940 外人部隊に入隊し、チュニジアへ派遣される。同年除隊。ソニア・ドローネー、ジャン・アルプ、ル・コルビュジェと親交 1942 抽象画を描きはじめる。41年以前に制作した作品を全て破壊する。経済的困窮の中、画商ビュシェのはからい大きなアトリエを確保 1944 ブラックらと親交をもつ。ド・レスキース画廊の「抽象絵画」展に出品。同展にはカンディンスキーも出品している。その後同画廊で初めての個展 1945 ジャン・ビュシェ画廊で個展。サロン・ド・メ展に参加 1946 妻ジャニーヌ・ギユーが死去。以前から愛好しているダンス、音楽などを主題とした作品を制作しはじめる。妻の遠縁にあたり息子の家庭教師をしていたフランソワーズ・シャプトンと再婚。画商ルイ・カレと契約 1948 フランス国籍を得る。エクトール・スガルビ組織の絵画と素描展 1949 版画制作を始める。すでにこの頃までにパレットナイフを使用して厚いマティエールを押し潰すようになる 1950 パリ国立近代美術館が買い上げ作品を展示。ジャック・デュブール画廊で個展。コペンハーゲンのフランス絵画展に出品。シュザンナ・テゼナを知り、彼女のサロンでストラヴィンスキーら音楽家、詩人らと知り合う。 1951 NYのセオドア・シェンプ画廊で個展。ジャック・デュブール画廊でルネ・シャールの「詩」展 1952 ロンドンのマティーセン画廊で個展。現実の主題との明らかな繋がりを持つ作品になっていく 1953 NYのノードラー画廊で個展、渡米 1954 NYのロザンベール画廊で個展。ジャック・デュブール画廊での個展が賛否両論となる。具象への回帰がその焦点。マティエールも流動的になっていく。 1955 アンティーブ美術館での個展とジャック・デュブール画廊での個展の準備中に投身自殺。パリでのコンサート(シェーンベルクとウェーベルンの作品の演奏)から着想を得た大作を制作中でもあった
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<国内で見られる絵画作品・所蔵品>
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より理解のために <ニコラ・ド・スタール関連の書籍>
参考文献 「二コラ・ド・スタール展」1993 「現代版画世界の100人 カタログ・レゾネ全ガイド」発行:栄光 1996 「La Collection ポンピドー・コレクション展カタログ」編集発行:東京都現代美術館、朝日新聞社、テレビ朝日 1997 「愛知県美術館所蔵作品選」発行:愛知県美術館 1992 「メナード美術館作品図録」発行:メナード美術館 1987 「福岡市美術館所蔵品目録−近現代美術」発行:福岡市美術館 平成4年 |
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