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Kazimir Malevich |
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カジミール・マレーヴィッチ |
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経歴 1878 ウクライナのキエフでポーランド人の両親のもとで生まれる。キエフ美術学校で学ぶ 1901 カジミーラ・イワノワ・ズグレイツと結婚もやがて解消 1904 画家となるためモスクワに出る。 印象派的な作品から、ネオプリミティズムの影響を受ける 1910 未来派の「ダイヤのジャック」展に出品 未来派の「ロバのしっぽ」展にも出品。立体未来派の作風 1913 前衛オペラ『太陽の征服』の衣裳と舞台装飾美術を担当。シュプレマティスムの第一歩を踏み出す。 1915 「0.10−最後の未来派」展で白地に黒い正方形を描いた衝撃的作品が話題となる。シュプレマティズム宣言(『キュビズムと未来派からシュプレマティスムへ』)がなされ、一気にロシア美術界の中心に。 1917 ロシア革命 1919 ヴィテブスクの美術学校に招聘され、翌年、教授陣と学生らととにも校長であったシャガールを追放。シュプレマティスムの短い黄金期。 1924 レーニンが死去し、反動的な勢力が強まり、社会的リアリスムが主流となり、マーレーヴィッチのような前衛芸術は駆逐されていく。 1927 ドイツ・ベルリンで大回顧展。その出品作品はすべてドイツの友人に託して置いて来てしまう。 ドイツから帰国後は、1930年頃より具象絵画的となり、執筆活動が中心となる。 1935 レニングラードにて死去 第二次大戦後、マレーヴィッチの作品はドイツで発見されるが、ソ連では作品公開を禁じ、1980年代まで美術館の収蔵庫に封印される
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<国内で見られる主な絵画・所蔵品>
絵画を主題(テーマ)から解放し、そして色彩を、そして物質の面から…と辿りついたのが、“至高”の絵画ともいわれるシュプレマティズムの中の『コンポジション−白い上の白い正方形』(1918) そこにあるのは、わずかな色彩の違いでわかる正方形のフォルムとマチエールのみ。しかし、それから先はなかった…終着駅だったわけです。 そこでマレーヴィッチは自身の役割を終わらせてしまうことになり、絵画の垂直方向での可能性はなくなってしまった…。いえ、その後、何十年もして、他国で新しい絵画の可能性は見出されるのですが… |
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より理解のための <マレーヴィッチ関連の書籍>
参考文献 「夢見る権利 ロシア・アヴァンギャルド再考」 著:桑野隆 発行:東京大学出版局 1996 「美術手帖 特集マレーヴィッチ 絵画の無化をめざして」 1974年9月号 美術出版社 「小学館ウィークリーブック 週刊美術館50 形と色に捧げた純愛 モンドリアン/マレーヴィッチ」 発行:小学館 2001 「La Collection ポンピドー・コレクション展カタログ」編集発行:東京都現代美術館、朝日新聞社、テレビ朝日 1997 |
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