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El Lissitzky |
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エル・リシツキー |
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経歴 1890 ロシアのスモレンスクで帽子職人の家庭に生まれる。ユダヤ人のため美術アカデミーに入学できず、ダルムシュタットの工学・建築学校で学ぶ 在学中にヨーロッパを旅行 1916 ロバのしっぽ展に出品 1917 シャガールらユダヤ人のグラフィック・デザイナーらと書籍の挿絵の仕事も行う 1919 革命後、ヴィテブスク美術学校の教授となり、マレーヴィッチとしリ合う 1920 シュプレマティスム様式の新しいタイポグラフィをデザイン。後のバウハウスにも影響を与える 人民教育委員会造形美術部門でのメンバーとなり、モスクワのヴフーテマスで教鞭をとる 1922 ベルリンでのロシア美術展で構成主義の一室を組織 国際的構成主義の雑誌を発行し、バウハウスと交流 1923 詩人マヤコフスキーのための表紙などをてがける。その後もマヤコフスキーのために数多くのデザインを行う 「われらが産業」シリーズの菓子の包装なども手掛ける 1924 幾何学的抽象作品の『ブロウニ』や構成主義の自画像『コンストラクター』などを制作。 その後、構成主義建築家グループ「ABC」のメンバーとなり、ドレスデン、ケルン、パリなどで出向き、ソヴィエト芸術の展示などの活動を行う 写真の可能性を探りフォトモンタージュ作品を創る 1941 自殺
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<国内で見られる主な版画・所蔵品>
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リシツキーは、マレーヴィッチのシュプレマティズムのゼロへの還元を端的に解説したことで著名ですが、デザインの新しい視覚的表現を作り出したことで、その名を残しています。 リシツキーは絵本を数多くてがけ、その中で文字を決められた形から外して新たなイメージを作り出します。タイポグラフィといってしまうと、受け取るイメージが異なってしまいますが…。 写真を用いたフォトモンタージュなども手掛けています <リシツキー関連の書籍>
参考文献 「美術手帖 1974年9月号 特集 マレーヴィッチ 絵画の無化をめざして」 発行:美術出版社 「美術手帖 1982年2月号 ロシア・アヴァンギャルドのデザイン感覚」 発行:美術出版社 「夢見る権利 ロシア・アヴァンギャルド再考」 著:桑野隆 発行:東京大学出版局 1996 |
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