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Mikhail Larionov |
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ミハエル・ラリオーノフ |
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経歴 1881 ロシアのティラルボルで軍医の家庭に生まれる。モスクワの絵画・彫刻・建築学校で学ぶが、学校当局と問題を起こし卒業に12年かかる。 大学在籍中よりフォーヴ的な作品を制作 1906 ぺテルスブルクの世界芸術展に出品。パリのサロン・ドートンヌにも出品。パリにも訪れる 1907 ゴンチャローヴァらとグループ「青いばら」を結成。機関紙「金羊毛」を発行 この頃より、ネオ・プリミティヴィスムの様式を生み出す 1908 「金羊毛」展を組織。兵役につき、兵士シリーズを制作 1909 最初のレイヨニスムの作品を制作。イズデプスキー組織のサロン展や金羊毛展に出品。 ロシア前衛画家のリーダー的存在となる 1910 ダイヤのジャック展を組織 1912 ロバのしっぽ展を組織 1913 標的展でレイヨニズム作品を公開し、レイヨニズム宣言を発表 1914 ロシアバレエ団に同行し、ゴンチャローヴァとともにパリへ。パリでも個展を開催 1915 召集されて帰国。前線に派遣されるが病となり入院。退役とともにパリに行き、バレエ団の舞台美術を制作 それ以後、絵画制作を放棄し、バレエ団の舞台美術に専念 1964 フランスにて死去
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ロシア未来派ともいえるラリオーノフ。自らとなえたレイヨニスムによって、それまでのバタ臭い?イコンとも民芸的絵画から一気に抽象絵画の領域に飛躍しました。 放射線の交錯によって色彩の面をつくった作品は革新的です。しかし、そこへ行き着いたがために、そこから絵画芸術として次へ展開することは難しいことだったようです。 また、当時の時代背景は芸術の実用に向かっていたために、その後、すぐに絵画を放棄し、舞台芸術へ移行します。 さて、レイヨニスムには、その先がなかったのでしょうか? 今ならあるといえるのでしょうが。 レイヨニスムについては、「ism(美術運動)の証言」のコーナーでも扱っています
参考文献 二見史郎 特集内のコラム 「美術手帖 1974年9月号 特集 マレーヴィッチ 絵画の無化をめざして」 発行:美術出版社 「夢見る権利 ロシア・アヴァンギャルド再考」 著:桑野隆 発行:東京大学出版局 1996 「美術手帖 1982年2月号 ロシア・アヴァンギャルドのデザイン感覚」 発行:美術出版社
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