Frantisek Kupka


  

  フランティシェク・クプカ


  

  

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美術家DATA オルフィスム 目次

美術家の言葉 目次

ism(美術運動)の証言 目次

絵画の制作技法・構造と効果 目次

経歴

 1871 ボヘミア(現チェコ)のオポチノに生まれる。早くから心霊の世界に興味を持つ。バロック美術がきっかけで絵画の関心を持つ。プラハとウィーン・アカデミーで学ぶ

1896 パリに出る

1890年代 神智学や神秘主義から着想を得た、象徴主義的作品を制作。また、科学にも熱中する

1900 マラルメの翻訳を通じてポーと出会う。ポ−の小説の挿絵を手掛け、翌年にはアナーキストの雑誌『利権』などを制作

1905 ボヘミアではじめての個展。この頃には挿絵画家として著名となる

1907 モティーフをプリズム分光色で彩色した『水(入浴する女)』を制作。一気に画風が変化していく

1910 渦巻き模様、垂直面、斜めの面を使用した作品を模索。ウージェニーと結婚

1912 アンデパンダン展に出品。最初の抽象絵画といわれる『アモルファ』を出品「垂直線にもとづく構図」シリーズの制作を始める。この年のアンデパンダン展にはデュシャンが「階段を降りる裸体」を発表。

1914 第一次世界大戦勃発し、志願

1920 『宇宙の春 U』が完成

1921 パリではじめての個展

1922 プラハ・アカデミー教授となり教鞭をとる

1923 1910から書き始め12年には完成していたといわれる造形原理の自説の理論「造形芸術における創造」がプラハで出版される

1925 『対角線のプラン』を制作

1920年代末 抽象的な作風から幾何学的抽象に進化。しかし、抽象の内省世界に意識的にとじこみ、鬱病に

1931 「アプストラクシオン=クレアシオン」の運動に参加。健康を害し、南仏で療養

1936 NY近代美術館の「キュビズムと抽象絵画」展に出品。パリでA.ミュシャと二人展

1940-45 ボージャンシィで療養

1946 誕生75年を記念した回顧展がプラハで開催。ここで成功をおさめる

1951 ジャック・ヴィヨンの助言により、NYのルイ・カレ画廊での大規模個展

1957 死去

 

 

 

  

 

 <国内で見られる主な作品・所蔵品>

●愛知県美術館

制作年

灰色と金色の展開

1919

 

  

 

より理解のために

green07_next.gif クプカの「美術家の言葉」

フランティシェク・クプカ関連の書籍

 

 参考文献

「美術手帖1978年8月号 作家研究6 フランチシェク・クプカ 宇宙的秩序に向けて 著:高見堅志郎」 発行:美術出版社

「世紀末ヨーロッパ 象徴派展」 監修:カトリーヌ・クロエス、フランソワ・ドールト、木島俊介 発行:東京新聞 1996

「La Collection ポンピドー・コレクション展カタログ」編集発行:東京都現代美術館、朝日新聞社、テレビ朝日 1997

「パリ市近代美術館展」 監修:千足伸行 編集・発行:アート・ライフ 1999

「メルツバッハー・コレクション展」 監修:千足伸行 発行:東京新聞 2001