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Frida Kahlo |
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フリーダ・カーロ |
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経歴 1907 メキシコのコヨアカンに生まれる。6歳のときに小児麻痺にかかり、以後右足は不自由に。 国立予科高等学校で学び、そこで将来の夫となるディエゴ・リベラが教鞭をとっており、出会う。当時のカーロは男装をしたり、レズビアンの体験など、一般的にいうところの“手に負えない”生徒であった。 1925 当時の恋人と路面電車にのっていて、大事故に巻き込まれ、重症を負う。体を動かせず、母親が病室に持ち込んだ絵筆で天井に鏡をとりつけ、自画像を描くようになる。 1928 ディエゴ・リベラが『武器を配る』の中でフリーダを描く 1929 ディエゴ・リベラと結婚 1930 ディエゴの壁画制作に連れ立ってアメリカのサンフランシスコへ。翌年、生涯にわたり医学の助言をすることとなるレオ・エラーサー博士と出会う。 1931 『レオ・エラーサー博士の肖像』制作。ディエゴのNY近代美術館での回顧展のためにNYへ。アメリカのマスコミからは、個性的なカップルとして評判となる 1932 デトロイトに滞在中、大出血をして入院。『ヘンリー・フォード病院』制作 1933 ロックフェラー・センターの壁画制作が中断となり、カーロ自身の望みでメキシコに帰国。アメリカとメキシコの両国の間にいる自画像などを前年より制作 1934 ディエゴ・リベラが妹のクリスティナと不倫 1935 『ほんの一刺し』を制作。別居し、一時期NYへ渡る。帰国後、ディエゴと和解 1937 亡命のレオン・トロツキー夫妻を自身の生家である青い家にすませる。レオン・トロツキーと不倫関係もあったといわれる。『レオン・トロツキーに捧げる自画像』制作 1938 アメリカのコレクターが絵画作品を4点購入。フリーダの作品が実質的にはじめて売れる。NYのジュリアン・レヴィ画廊で初めての個展 1939 アンドレ・プルトン主催「メキシコ展」に出品。フリーダの作品が中心。ルーヴル美術館が自画像『額縁』を購入。離婚。 1940 「国際シュルレアリスム展」に代表作ともいえる『ふたりのフリーダ』を出品。同作はNY近代美術館の「メキシコ芸術の20世紀展」にも。ディエゴと再婚 1942 NY近代美術館の「20世紀の肖像画展」に展示 1943 フィラデルフィア美術館の「今日のメキシコ芸術展」に出品。文部省附属絵画彫刻学校で教鞭をとる。 1944 次第に様態が悪化していく。その痛みの自画像ともいうべき『折れた支柱』を制作 1946 椎骨の手術のためNYへ。自らの痛みを昇華するためのように『傷ついた鹿』『希望の樹、しっかりと立て』を制作。 1950 椎骨障害再発で入院 1953 メキシコで初めての個展(現代美術画廊)。個展にはベットに横になったまま参加。壊疽のため右膝から下を切断。 1954 アメリカのグアテラマ介入に対する抗議デモに参加するが、病状が更に悪化し、死去
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<国内で見られる主な絵画・所蔵品>
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より理解のための <フリーダ・カーロ関連の書籍>
参考文献 『フリーダ・カーロ 痛みの絵筆』 著者:マルタ・ザモーラ 編:マリリン・ソード・スミス 翻訳:北代美和子 発行:リブロポート 1991 「名古屋市美術館所蔵作品総目録」 発行:名古屋市美術館 1999 『週刊グレート・アーティスト33 リベーラ』 監修:中山公男 監修補佐:保井亜弓 発行:同朋舎 1990
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