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Salvador Dali |
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サルバドール・ダリ |
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経歴 1904 スペイン、カタルーニャ地方に生まれる。市立デッサン学校で素描と版画を学ぶ。母が死去。マドリードのサン・フェルナンド王立美術学校に学ぶ。新教授任命をめぐり学生運動を煽動したとして1年間の停学処分に。また政治的理由で1ヶ月の投獄をうける(リぺラ将軍の独裁に反対する父の身代わりともいわれる) 1925 バルセロナのダルマウ画廊で個展 1926 パリとブリュッセルに旅行。ピカソを訪問する。教員資格試験で試験官を故意に侮辱し退学処分に(教員資格をとれという父への反抗といわれる) 1927 兵役 1928 ミロの仲介でアンドレ・プルトンに出会う 1929 パリで映画「アンダルシアの犬」の撮影に協力。シュール・リアリズムの中心的人物などと親交。パリ進出の準備をする。 カダケスにもどったダリに友人たちとともにガラが訪問。ガラだけが残り、共同生活がはじまる。パリのゲーマン画廊で個展。年末には父から勘当される(ガラとの結婚、亡き母を侮辱する作品を描いたことがその理由といわれる) 1930 ポルト・リガト湾に面する漁師小屋を買い取り、住居兼アトリエとする。ピエール・コル画廊と契約。アメリカでの最初のシュルレアリスム展に出品。「偏執狂的批判的方法」を生み出す 1931 ピエール・コル画廊で個展 1932 NYのジュリアン・レヴィ画廊のシュルレアリスト展で『記憶の持続(柔らかい時計)』が話題となる 1933 ダリを支援するグループ黄道十二宮が結成される。ピエール・コル画廊での「シュルレアリスム」展に出品 1934 初めて渡米し、ジュリアン・レヴィ画廊で個展 1935 NY近代美術館で講演 1936 ロンドンの国際シュルレアリスム展に参加。 1938 シュルレアリストのグループより除名される 1940 第二次世界大戦を避け、渡米。1948まで滞在 1942 ニューヨーク近代美術館で回顧展。各地に巡回。著書「我が秘められた生涯」の英語版出版 1943 NYのネドラー画廊で個展 1945 広島に投下された核爆弾に衝撃を受けて、以後、それらのテーマをとりあげていく。 1948 技法論の著作の英訳出版。スペインのポルト・リガに帰国 1949 ローマ法王に謁見。『ポルト・リガトの聖母』に祝福を受ける 1952 核神秘主義を主題とした講演をアメリカ各地で行う 1954 ローマのパラヴッチー二宮で回顧展。写真集「ダリの口髭」完成 1955 パリ大学文学部で「偏執狂的・批判的方法の現象学的諸様相」を講演 1959 ローマ法王に謁見し、全キリスト教を統一する象徴的大聖堂建築計画を述べる 1960 シュール・レアリストから、「シュルレアリスム国際展」の参加を拒否される 1963 DNA理論により作品制作 1964 スペイン最高勲章を受章。東京で回顧展 1968 パリ大学生の五月革命に刺激され、「私の文化革命」を発表。 1970 ロッテルダムのブーニンゲン美術館で回顧展 1972 NYのネドラー画廊でホログラム展 1974 自身によるダリ劇場美術館オープン 1977 立体視絵画を制作 1979 パリのポンピドゥー・センターで大回顧展。翌年、ロンドンのテイト・ギャラリーに巡回 1982 ガラ、死去 1983 数学者のルネ・トムのカタストロフィー理論に基づく『燕の尾』を最後の作品として制作 1989 死去。ダリ劇場美術館内に埋葬
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<国内で見られる主な絵画・所蔵品>
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<ダリ関連の書籍>
参考文献 「ダリ展1999」 監修:千足伸行 解説:ジョーン・R・クロップス、ピーター・トゥッシュ、新関公子、山口洋三 編集・発行・NTVヨーロッパ 1999 「メルツバッハー・コレクション展」 監修:千足伸行 発行:東京新聞 2001 『岩波世界の美術 ダダとシュルレアリスム』 著:マシュー・ゲール 訳:巖谷國士、塚原史 発行:岩波書店 2000 『シュルレアリスム』 共著:ロジャー・カーディナル、ロバート・S・ショート 訳:江原順 発行:PARCO出版局 1977 諸橋近代美術館ホームページ、コレクションより 「池田20世紀美術館」発行:池田20世紀美術館 昭和62 「広島県立美術館コレクション選」発行:広島県立美術館 1996 「横浜美術館所蔵品目録T」 |
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