|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Paul Cezanne |
|
ポール・セザンヌ |
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
経歴 1839 プロヴァンスの店員の家庭に生まれる。父の希望によりエクス大学で法律を学びはじめるが、途中で放棄。画塾にも通うが、国立美術学校の試験に不合格となり、エクスに戻り、銀行で働きはじめる。 1863 ルーヴル美術館で模写などを行う 1865 サロンに作品を応募するが落選 1866 パリに出る。ゾラ主催の集まりに参加。審査員のドービニーの支持があるがサロンで落選。マネを訪問。 1868 前年と本年もサロンで落選し、故郷のエクスに一時帰郷 1869 後の妻となるフィケと生活をはじめる 1870 普仏戦争勃発し、レスタックへ移る 1871 徴兵拒否者として告発される 1872 息子ポール誕生。サロンで落選が続く 1873 ピサロとともに制作 1874 第1回印象派展に『首吊りの家』など3点を出品 1876 モネにアルジャントゥイユの家に招待される。 1877 第三回印象派展に16点の作品を出品 1878 経済的な困窮、サロンの落選 1881 友人の音楽家のための慈善売立てにマネ、ドガ、ピサロらとともに作品を出品 1882 審査員ひとりにつき弟子1人の作品を優先出品できる制度がこの年だけでき、ギユメの弟子として『L.A氏の肖像』をサロン出品 1883 印象派の画家たちが次第にセザンヌの作品を購入するようになっていく 1890 ブリュッセルの第7回二十人会に3点の作品が展示 1892 ルコントが『アール・モデルヌ』誌に「同時代の美術:二十人会のサロン」の文章でセザンヌを新傾向美術の先駆者としてとりあげる 1894 デュラン=リュエル画廊が作品を取扱いはじめる 1895 ヴォーラル画廊で絵画と素描展開催。会期中から画家たちが作品が購入し、その後、批評家やコレクターに作品が売れはじめる 1898 ヴォラール画廊で展覧会。翌年にもセザンヌ展 1900 フランス芸術100年展に出品 1901 ヴォラール画廊で展覧会。ブリュッセルの自由美術展に出品。ベジエでの美術協会サロンで展示。テントーンステリンク゛国際展に出品 1903 ベルリンでの分離派展に出品。サロン・ドートンヌに出品 1904 サロン・ドートンヌで作品展示のための1室が与えられる。33点を出品。画壇での地位が確立する 1905 サロン・ドートンヌに10点出品 1906 死去 1907 サロン・ドートンヌで56作品による回顧展が開催される
|
|
<国内で見られる主な絵画・所蔵品>
<国内で見られる主な版画・所蔵品>
|
|
より理解のための <ポール・セザンヌ関連の書籍>
参考文献 「セザンヌ展」 編集:横浜美術館、愛知県美術館、NHK、東京新聞 年譜作成:大屋美那 発行:NHK、NHKプロモーション、東京新聞 1999 「美術手帖 1999年10月号 新セザンヌ解剖学 いま「近代絵画の父」からなにを学べるか?」 発行:美術出版社 里見勝蔵著 『ブラマンク』 発行:日動出版 昭和60年
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||