Constantin Brancusi


  

  コンスタンチン・ブランクーシ


  

  

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絵画の制作技法・構造と効果 目次

経歴

 1876 ルーマニア西部オルテニア地方に生まれる。家出の常習犯。

の勧めと働きかけにより工芸学校で学び最優秀の成績。その後、ブカレストの国立美術学校に入学。在校中に銀メダル受賞など才覚を現す。

1905 パリのエコール・デ・ボザールに入学。ルーマニア政府から少ないながらも奨学金を得る。

1906 グランパレでのアンデパンダン展に入選

1907 数ヶ月、ロダンの工房で働く。工房をやめたのち、客注による墓のモニュメントの『祈る人』を制作。ロダンの影響を脱し、独自の彫刻の道を自覚する。

1908 『接吻』『マイアストラ』シリーズの第一バージョンを制作

1912 ブカレストのサロンで一等賞を受賞し、賞金を授与される。『ポガニー嬢』なども制作

1913 アメリカで最新のヨーロッパ美術を紹介する国際展「アーモリーショー」に選ばれて出品。

1914 アメリカで最初の個展を開催

1918 足の骨折で動けなくなったときに絵画制作をはじめる

1920 ダダ、フェスティバルに参加

1924 代表作ともいえる『空間の鳥』シリーズの制作を開始

1926 NYに個展のために渡米

1927 アメリカでの関税についての裁判を起こす。自作『空間の鳥』が美術品ではなく工業製品としての関税を課せられたことについて。最終的に勝訴。イサム・ノグチが29までアトリエ助手をつとめる

1933 インドの大君が『空間の鳥』を購入。それらの作品をおさめるための「瞑想の寺院」建立の計画も立ち上がる(最終的には実現せず)

1938 ルーマニアのトゥルグ・ジウに第一次世界大戦戦没兵士の記念碑『無限柱』『沈黙の円卓』『接吻の門』が完成

1949 最後の作品となる『大きなにわとり』を制作

1952 フランス国籍取得

1957 死去。遺言によりアトリエおよびアトリエ内にある作品などがパリ国立近代美術館に寄贈となる。

 

 

  

 

 <国内で見られる主な作品・所蔵品>

●川村記念美術館

制作年

眠れるミューズU

1922/76

●福岡市立美術館

 

雄鳥

 

ブランクーシといえば『空間の鳥』があまりにも著名。しかし、個人的には『接吻』(特に1916作)、『プロメテ』、『王妃X』などの方がフォルムも、イメージの喚起力も強くて好み

『接吻』には融合が、『プロメテ』にてぼんやりとしたまどろみが、『王妃X』には優美な曲線のフォルムが(男根じゃないか、とピカソはいったそうだが)あって、心地良い。

『空間の鳥』は、“飛翔”そのものが感じられるというけれど、私には『マイアストラ』が飛び立った、としか感じられない。それが飛翔なのかもしれないが…。

といっても、それぞれの作品が浮かばない人にとっては???のはず そして、その作品は触ってみたくなるもの(自分で所有しなくちゃ無理なんだろうなぁ、非常に残念)

  

 

より理解のための

green07_next.gif ブランクーシの「美術家の言葉」

ブランクーシ関連の書籍

 

 

 

参考文献

「モダン・マスターズ・シリーズ コンスタンチン・ブランクーシ」

エリック・シェインズ著  中原祐介・水沢勉訳 発行:美術出版社(アベヴィル・プレス共同出版) 1991

「美術手帖 1978年9月号/中原祐介「終りなき始まり=ブランクーシ14最終回 周章にかえて」 発行:美術出版社

「La Collection ポンピドー・コレクション展カタログ」編集発行:東京都現代美術館、朝日新聞社、テレビ朝日 1997

「川村記念美術館図録」 発行:川村記念美術館 1995