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Arnold Bocklin |
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アルノルト・ベックリーン |
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経歴 1827 スイスのバーゼルに生まれる 1846 スイスからドイツのデュッセルドルフの美術アカデミーに入学 1847 アカデミーを出て、ベルギーへ旅行。ジュネーブの画家アレクサンドル・カラムのもとで風景画を学ぶ 1847 風景画中心の時代の代表作『巨石墳墓』を制作 1848 フランスでパリの革命騒乱に居合わす 1850 イタリア・ルネサンスの歴史家ブルクハルトむの勧めに従い、イタリア滞在。52年まで。アンジェラと結婚 以後、古代神話の主題なども用いた作品を制作していく その表現や主題が風紀の検察官などの当局からマークされ、追い立てをくらう 1860 ヴァイマールの美術学校で教鞭をとる。62年まで。 1874 イタリア移住。科学者と交流し、航空術にも興味を持つ。 1880 代表作の『死の島』(月明かりにぼんやりと浮かび上がる、廃墟となった断崖の小島に、漕ぎ着けようとする舟。漕ぎ手の前には、全身を白衣につつんだ人物が直立不動で立ち、その前には布におおわれた棺?がある)を制作 1886-87 セイレーン(人魚)をモチーフにもちいた作品なども制作 1896 巨大で荒れ狂った馬にのる死神、略奪された裸婦、ハンマーを振り下ろす偉人、剣をかざす狂気、火を放とうとする者たちが、都市の上を浮遊し突き進む『戦争』を制作(似通った構図の同名作品2点) 1901 イタリアのサン・ドメ二コで死去 デ・キリコなどが影響を受ける
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※ 国内における作品所蔵先は(私には)確認できておりません ベックリーンの作品のタイトルは自身がつけたものではなく、画商やコレクターがつけたものといわれています。自身でタイトルをつけないのは何故?なんでしょう。 「作品に込めた内容を一言で現すなんて無理だ」と考えたのか「このタイトルも、どうもぴったりこないなぁ…これもどうも…うーん、こんなことに時間を費やすより俺はもっと描きたいことがたくさんあるんだ…次の作品創ろう!」ということだったのか…。 個人的に感じるのは、タイトルを知らずに見た方が、作品のインパクトがより強く、連想の自由度が高いのでは?ということです。まぁ、それだけコミュニケートしやすい作品だからということもありますが。 代表作の『死の島』なんて、たしかに画面に描かれた風景にマッチしたタイトルだとは思いますが、連想範囲を狭めてしまっているのではないでしょうか。
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<ベックリーン関連の書籍> > 『ベックリーン《死の島》―自己の作品とコンテクスト』 発行:ニ玄社 参考文献 「世紀末ヨーロッパ 象徴派展」 監修:カトリーヌ・クロエス、フランソワ・ドールト、木島俊介 発行:東京新聞 1996 池内紀(ドイツ文学者)「新しい時代の大いなる預言者」 『美術手帖1987年3月号 特集 世紀末を射る2つのB』 発行:美術出版社 |
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