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じょるじゅ・びごー |
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ジョルジュ・ビゴー |
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経歴 1860 フランス・パリの官吏と画家の家庭に生まれる。美術学校に入学するも、家計を助けるために中退。 1876 新聞・雑誌の挿画の仕事を行う 1878 エッチングやドライポイントを学ぶ。「日本散策」という書籍で日本に興味を持ち、またこの年のパリ万博で日本館の展示も見る。 1881 ゾラの著作「ナナ」の挿絵を描く。日本へ 1882 日本に到着。陸軍士官学校画学教師となる 1885 中江兆民の仏学塾仏語教師に。また、改進新聞の専属画家になる 1887 雑誌「トバエ」を居留地外人向けに発行。ちょうどワーグマンの「ジャパン・パンチ」が終刊となり、その読者を引き継ぐかたちとなる。 1888 磐梯山噴火の被害の取材 1890 「トバエ」終刊 1893 シベリアと中国旅行に。帰国後、数ヶ月京都に滞在 1894 佐野マスと結婚。イギリスの「グラフィック」紙の通信員として日清戦争に従軍 帰国後は、数年にわたり、数々の画集を発刊。 1899 妻と離縁し、帰国。年末に祖国で再婚 1900 国内でビゴーの前年度発行画集が発売禁止になる。パリ万博でポスターなどを手掛ける 1904 フランスのマスメディアに、日本の風俗や日露戦争関連の挿絵を数多く寄稿 1927 死去
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<国内で見られる主な絵画・所蔵品>
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ビゴーの油彩画の技法は上手いか? 個人的には上手いとは思えませんが、ビゴーの描く明治日本の女性たちは愛らしく、そして何よりもその視線に愛情がこもっています。(特におフミさんは、明るく可愛く可憐に描かれています) 風刺画家でもあったビゴーが日本で最も愛したものが、日本女性。男性が西洋の帽子や洋服をを着用して西洋化していくなか、日本の女性たちは、まだ昔ながらの衣裳と髪型で伝統を守るというか、保ち続けていた。 浮世絵の国に憧れてやってきたビゴーにとって、独自の風俗・風習を捨てていくように見えたことに少し嫌悪感を感じたのかもしれません。 ビゴーの描く男たちや、鹿鳴館で踊る者たちの顔は、デフォルメされいびつに描かれています。
参考文献 「ジョルジュ・ビゴー展 明治日本を生きたフランス人画家」監修:エレーヌ・コリヌヴァン、清水勲 編集・執筆:酒井忠康、杉村浩哉、小松崎拓男 発行:美術館連絡協議会、讀売新聞社 1987 「近代日本美術家列伝」 編:神奈川県立近代美術館 発行:美術出版社 1999 「のぞいてみよう!幕末・明治のヴァーチャル革命 日本近代洋画への道」発行:埼玉県立近代美術館 2002 |
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