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William Hogarth |
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ウィリアム・ホガース |
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経歴 1697 ロンドンのスミスフィールドで学校教師の家庭に生まれる。 父はコーヒー店経営に失敗し、投獄されてホガース23歳のときに死去。 銀細工の彫版を修業する。銅版画による生計をたてる。 ヴァンダーバンクの美術学校で学ぶ。 ジェイムズ・ソーンヒルの画塾で1番弟子となる。その後、そこでの娘と結婚。 1728 油彩画を描き始める。 1735 素描教室を開校。 自身で彫版し予約販売をした「売春婦の遍歴」で大成功を治める。 1740年代 肖像画家としても活動。 自作に基づく銅版画の海賊版が出回り、その横行に対抗したホガース法を議会で制定させる。⇒現在の著作権法のはしりともいえる。 1753 著作「美の分析」を出版 晩年は王室画家ともなる。 1764 ロンドンにて死去
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<国内で見られる主な絵画・所蔵品>
<国内で見られる版画作品・所蔵品>
「当世風の結婚」は、当時の愛情や相性といったものの結婚ではなく、金や家の体面といったことを優先させて結婚した男女のその後を6枚でひとつの物語として描いたものです。 家柄は高いが金がない貴族の息子と、家柄は低いが成金の娘の結婚は、怠惰で互いに愛人をつくり、やがて少し滑稽で悲劇的な結末を迎えます。 さて、そのストーリーは、美術館でお楽しみください。 |
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ホガースは「風刺画家」といわれますが、イギリス近代絵画の父ともいうべき存在でもあります。 イギリスの貴族階級は長い間、フランスやイタリアの美術を愛好しており、ホガースはそうした古典主義や神話画、歴史画に反感を抱いていた。また、国内においてもそうしたフランス仕込み風の絵が嗜好されていたのです。 そこで、彼自身は、イギリス文化に根ざした生活のなかに絵画の発想源を求めた。そのなかに批判精神に富んだパロディなどがあったわけです。当時としては革新的なことでありました。そうした様式を確立したことからイギリス絵画の父ともいわれるのです そうしたホガースですから、上流階級向けには1点ものの油彩画を、そして大衆にはその油彩画の版画を制作した(国内で見られるエッチングもそうです) もちろん、その理由のひとつにはアカデミーとはそりがあわないので、版画販売によって生計をたてる必要もありましたが……。しかも、アイデアマンでもある。予約販売や著作権の原型ともいえるものを作りだしたのです。 また、彼の人物画は、他の肖像画家の作品とは異なり、依頼主を美化して描いていないので、肖像画としては不人気だった。当然といえば当然の話…でも、そこにホガースの心意気というか、自身に対するプライドを感じます。その点、風俗として描かれた庶民の人物画などは、そのいきいきとした表情やタッチなどが、とても魅力的です。風刺性ではない、あたたかな視線が感じられます。 <ホガース関連の書籍> 『ホガース論考―絵画と文学 』 発行:研究社 参考文献 「ダリッチ美術館所蔵 ルーベンスとバロック絵画の巨匠たち」カタログ 監修:千足伸行 発行:「ダリッチ美術館所蔵 ルーベンスとバロック絵画の巨匠たち」カタログ委員会 1999 「朝日美術鑑賞講座5 名画の見どころ、読みどころ 18世紀 ロココ絵画」 解説 近藤昭/大沢寛三/早川博明/大野芳材 発行:朝日新聞社 1992 「西洋美術館」 近代T 編集委員 千足伸行 発行:小学館 1999
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