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William Blake |
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ウィリアム・ブレイク |
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経歴 1757 ロンドンのソーホー、ブロード街で靴下職人の家庭に生まれる。 ヘンリー・パース画塾に通い、版画やデッサンを学ぶ。 1772 彫版師ジェイムズ・バサイアに弟子入り。この頃、幻視を見たという。 1779 ロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学。翌年、ロイヤル・アカデミーに初出品。 1783 出資の協力があり、著作「詩的素描」が刊行される。 1788 レリーフ・エッチングで小冊子を制作。その後、挿絵の彫版を数多く手掛け、出版される。 1799〜1800 テンペラ画をロイヤル・アカデミーに出品 1803 細密肖像画や挿絵彫版などの仕事に忙殺される。 1809 テンペラの大作数点がロイヤル・アカデミーおよび英国協会より拒否され、個展を開く。前年に会長であるレイノルズやロイヤル・アカデミーを痛烈に批判。孤立した状況になっていく。 1815 仕事は、価格の安いエングレヴィーングの彫版が中心になっていく。 1821 深刻な経済的困難に。翌年、知人リネルが、ロイヤル・アカデミーに陳謝し、関係修復が図られる。評議会より25ポンドの贈与がある。 1824 「古代人」と自称する若い芸術家や称賛者と出会い、ブレイク支援者の集まりが広がる。 1826 健康を害し、病状が悪化。 1831 死去
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<国内で見られる主な版画・所蔵品>
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今でこそ、天才的詩人、画家として知られるブレイクですが、晩年は極貧のつらい時期を過しています。 ブレイクの水彩画は、ペンによる線と水彩がマッチした非常に美しく味わいのあるものですが、制作の中心は挿絵にならざるをえなかったため、どうしても芸術とは異なった「格下」扱いをされます。晩年、アカデミーと和解しますが、アカデミー側は、良い下絵を描く職人としての扱いでした。 それでも経済的に潤えれば違ったのでしょうが…。芸術、美術の評価とはなんでしょうね? <ウィリアム・ブレイク関連の書籍>
参考文献 「ウィリアム・ブレイク展」 編集 国立西洋美術館 雪山行ニ 喜多崎親 高橋明也 発行:日本経済新聞社 1990 |
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