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Jone Everett Millais |
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ジョン・エヴァレット・ミレイ |
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| 経歴 1829 ジャージー島のサウサンプトンの旧家出の裕福な家庭に生まれる。 1840 史上最年少(11歳)でロイヤル・アカデミーのアンティック・スクールに入学 1846 学内でハントで出会い、付き合いが始まる 1847 学内の油彩画で金メダルを獲得 ハントからロセッティを紹介され、付き合いが始まる。 1848 ラファエル前派兄弟団(The Pre- Raphaelite Brotherhood)をハント、ロセッティら計7名で結成。ロセッティからグループ名に“初期キリスト教”を入れたいとの考えを却下。ロセッティとは根本の志向が異なっていたことが次第に明らかになっていく。 署名のPRBとは、名称の頭文字をとったもの。 1849 ロイヤル・アカデミー展に「イザベラ」を出品。マスコミにおおむね好評に取り上げられ、作品に買い手がつく。 1850 PRBの署名の意味がマスコミに漏れ、進歩を破棄し未開な幼児期の芸術に戻るものといった趣旨で叩かれる。 「両親の家のキリスト」に批判、罵倒の声が集中。ディケンズも徹底的な批判をする。その騒ぎに、出産後のため見にいけないエリザベス女王が、その絵をもってくるよう命じたともいう。こののち、ラファエル前派は、宗教的主題から離れるようになる。 1851 著名な美術評論家ラスキンが非難の的であるラファエル前派を擁護。この後、ラスキンとの付き合いが始まる。 1852 ミレイの最も著名な作品「オフィーリア」を描く 1853 ロイヤル・アカデミー准会員に選出される 1854 美術評論家のラスキンと親交を深めるが、ラスキンの妻エフィーと不倫関係になり、親交は消滅。翌年、離婚したエフィーと結婚 1856 構図や物などによる主題のない(説明を排除)唯美主義的な作品「枯葉」「盲目の少女」を描く。色彩の美しさが好評を博すがミレイ自身は、“深い宗教的な感情”を描きだそうとしていた。 1859 「安息の谷間」「春」をホイッスラーが絶賛 60年代にかけて挿絵の制作にも力を入れる 1863 ロイヤル・アカデミーの正会員に 1860年代末以降 精密な描写方法をやめ、大胆なタッチによる肖像画を数多く制作していく 1896 ロンドンにて死去
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ラファエル前派の中でも、若き天才といえるのがミレイ。溢れるばかりの才能が早くから認められたがゆえに、その主題などからスキャンダル、悪評を浴びたグループ(ラファエル前派)に属していることは、彼にとってかなりの葛藤であったことは容易に想像できます。 彼の略歴からは、時として小心、時として大胆な2面性が感じられ、個人的には、そこにより親しみを覚えます。 とにかく「盲目の少女」「枯葉」は素晴らしい“名画”であり、どうして日本国内でこんなに知名度が低いのかがわかりません。
参考文献
「ラファエル前派 ヴィクトリア時代の幻視者たち」 著者:ローラン・デ・カール 監修:高階秀爾 訳:村上尚子 発行:椛n元社 2001 「ロセッティ ラファエル前派を超えて」 著者:谷田博幸 発行:兜ス凡社 1993 『ウィンスロップ・コレクション』展 発行:東京新聞 2002 『美術手帖1985年2月号 特集:ラファエル前派』 発行:美術出版社 |
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