William Holman Hunt


  

 ウィリアム・ホルマン・ハント


  

  

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美術家DATA ラファエル前派目次

美術と近代社会史・英国

美術家の言葉 目次

ism(美術運動)の証言 目次

絵画の制作技法・構造と効果 目次

経歴

1827 イギリス、ロンドンの倉庫管理人の家庭に生まれる

1839 12歳で不動産の事務員となる

1844 独学でロイヤルアカデミーのアンティック・スクールに入学をはたす

1846 学内でミレイと出会い、付き合いが始まる

ロイヤル・アカデミー展に出品した作品をロセッティから賞賛されたことがきっかけとなり付き合いが始まる。

1848 ラファエル前派兄弟団(The Pre- Raphaelite Brotherhood)をミレイ、ロセッティら計7名で結成。ロセッティからグループ名に“初期キリスト教”を入れたいとの考えを却下。ロセッティとは根本の志向が異なっていたことが次第に明らかになっていく。

署名のPRBとは、名称の頭文字をとったもの。

1849 ロイヤル・アカデミー展に出品。マスコミにおおむね好評に取り上げられ、作品に買い手がつく。

1850 PRBの署名の意味がマスコミに漏れ、進歩を破棄し未開な幼児期の芸術に戻るものといった趣旨で叩かれる。こののち、ラファエル前派は、宗教的主題から離れるようになる。

1851 著名な美術評論家ラスキンが非難の的であるラファエル前派を擁護。この後、ラスキンとの付き合いが始まる。

1854 同時代を題材とした「良心の目覚め」をロイヤル・アカデミーに出品

その後、聖書の主題を描くために56年までエジプト、パレスチナなどの聖地をめぐる旅へ

死海で描いた「贖いの雄山羊」は宗教的な色合いが強いが、ハントの傑作ともいわれる。

1859 ロセッティの主題のない絵画「ボッカ・バチアータ」の官能性を痛烈に批判

1860年代以降 アカデミーへの出品ではなく、個人での作品発表へと移っていく

1905 回想録「ラファエル前派主義とラファエル前派兄弟団」を刊行

1910 イギリス、ロンドンにて死去

 

 

 

  

 

 

 

  

 

green07_next.gif ラファエル前派の「ismの証言

 

ラファエル前派の結成当時の“約束事”にもっとも忠実に生涯をかけて描き続けたのがハント。

そのため時代の流れからとり残されたともいう言い方もできますが、時代の流れに沿うことが重要とはいえません。

志向を変えたロセッティを痛烈に批判したハントの精神は、ハントの芸術に対する真摯な態度、そして自身の目指す芸術に対する自負が感じられます。

 

参考文献

「ラファエル前派 ヴィクトリア時代の幻視者たち」 著者:ローラン・デ・カール 監修:高階秀爾 訳:村上尚子 発行:椛n元社 2001

「ロセッティ ラファエル前派を超えて」 著者:谷田博幸 発行:兜ス凡社 1993

『ウィンスロップ・コレクション』展 発行:東京新聞 2002

『美術手帖1985年2月号 特集:ラファエル前派』 発行:美術出版社