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Jacques Louis David |
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ジャック・ルイ・ダヴィッド |
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経歴 1748 パリの雑貨商の家庭に生まれる。母はロココの画家のブーシェの従兄妹にあたる。 1764 16歳で、ジョセフ・マリー・ヴィアンの工房に入門。 1774 後の国立美術学校を首席で卒業 1775 ローマ賞受賞。師のヴィアンがローマのフランス・アカデミーの院長就任となり、伴にローマへ。(留学) 1784 国王ルイ16世からの最初の注文を受け、ローマで「ホラティウス兄弟の誓い」を描く。 1789 国王からの注文で「ブルートゥス邸に息子たちの遺体を運ぶ警士たち」を描く フランス革命が勃発し、共鳴。ジャコバン党員として運動に参加。同志から依頼を受け、「テニス・コートの誓い」に着手。 国民公会の革命家マラー暗殺事件が起こり、殉教者としてマラーを描く「マラーの死」 1794 政治的混乱で、グルネル街留置所に連行、リュクサンブール宮殿に幽閉される。 国民公会の依頼で、共和国軍隊の少年兵バラの瀕死の姿「バラ」を描く ナポレオンに惹かれ、煽動的な「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」を描く。 ナポレオンも古代ローマへの憧れもあり、古典主義を奨励したといわれる。 1804 ナポレオン皇帝の首席画家となり、ナポレオン1世の戴冠式の記録を描く。 1815 ナポレオン1世の帝政崩壊となるワーテルローの戦いのさなか、スイスへ。その後、ブリュッセルへ亡命。 アカデミーからも氏名が抹消される。 1825 ブリュッセルで死去
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<国内でみられる主な絵画・所蔵品>
この作品が日本にあるというのは、とてつもなく凄いことだと思います |
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ロココ様式が続いていたフランス絵画界に新風を吹き込んだ(新古典主義)ダヴィット。その発想源は、ローマ留学で多くのルネサンス美術に触れたことが大きいようです。 絵画のなかに登場する人々は、舞台俳優のように「決めのポーズ」をとっている。そこが、ちょっと現在の私たちにはくさい?というか厭味に感じるところはあっても、簡潔に内容を示すとはそういうものなのでしょう。ルネサンス絵画だって、物語をひとつの場面として表現し伝えるためにさまざまなポーズをとっているわけですしね。 でも、ダヴィットの場合、ルネサンスというよりも、どちらかといえば江戸時代の錦絵にちかい構図かもしれません。登場人物が簡潔で芝居じみたポーズをきめてます。 ナポレオンの首席画家ではありましたが、戦場での戦闘場面は描いていません。その理由は既に歴史画の大家であったから、ともいわれていますが、その真相は? 対して、弟子のジャン・グロは数多くの「戦争戦闘画」を描いています。そして、ジャン・グロの煽動的、プロパカンダ的な絵画は、ロマン主義的な下地を作るわけですが…。
参考文献 「朝日美術鑑賞講座6 名画のみどころ、読みどころ 19世紀近代絵画@」 絵画解説 匠秀夫/近藤昭/太田泰人/山梨俊夫/水沢勉 発行:朝日新聞社 1992 「西洋美術館」 近代T 編集委員 千足伸行 発行:小学館 1999 |
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