|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
Joseph Mallord William Turner |
|
ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー |
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
経歴 1775 ロンドン、コヴェント・ガーデンの理髪業の家庭に生まれる。クロード・ロランの模倣などを行う。ロイヤル・アカデミー付属学校に入学 1793 風景素描が王立芸術協会の「グレート・シルヴァー・パレット賞」を受賞 1794 ウェールズ北部、イングランド中部の旅行。旅行中に描いた水彩画が最初の版画として「銅版画マガジン」に掲載される 1795 銅版画が著名となり、ソールズベリーを主題にした一連の水彩注文を受ける。この後、注文制作のため、国内各地を旅行し、制作。 1802 ロイヤル・アカデミーの会員に選ばれる。当時流行の大陸旅行者の一人としてフランスとスイスに旅行。アルプスなど山岳風景のスケッチを数多く行う 1803 フランスとイギリス間での戦争。翌年、スペインがイギリスに宣戦布告。この時代、ターナーは歴史的風景画を制作し、その地位を確立する。 1806 自分自身の作品の銅版画集「研鑚の書」を思いつき制作 1807 ロイヤル・アカデミーの遠近法教授に選出 1812 「吹雪−アルプスを越えるハンニバルとその軍隊」歴史的風景画のターナーのひとつの到達点に。 1819 最初のイタリア旅行に。相当数のスケッチと若干の水彩画を制作。帰国翌年、ローマを集約した「ヴァチカンからのローマの眺望−ラ・フォルナリーナを連れて回廊の装飾を準備するラファエロ」を描き、ロイヤル・アカデミーに出品 その後1835年までを中心として、「リッチモンドシャーの歴史」の挿絵、「イタリアのピクチャレスクな旅行」のために描かれていた絵を水彩での描き直し、「イングランドとウェールズのピクチャレスクな景観」のための水彩、「イングランドの港」のメゾチント、ロジャースの長編詩「イタリア」のための挿絵、ターナーの年次旅行シリーズなどの油彩以外の活動も続ける。 1828 二度目のイタリア旅行に。今回は油彩画を制作する。「オルヴィエートの眺め、ローマにて制作」。イタリアの風景であるが、すでに大気と光の効果が中心となり、ローマの展覧会に出品されるも理解されない。 1834 「国会議事堂の炎上、1834年10月16日」を制作。より大気と光の効果を求めた作品も描くようになる。 1842 「吹雪−港の沖合いの浅瀬で信号を発しながら、測鉛で水深を測りつつ進む蒸気船。作者はエアリアル号がハリッジを出港した夜、この嵐のただ中にあった」をロイヤル・アカデミーに出品。荒れ狂う海の船上のマストに自分の体をしばりつけて観察したという伝説も残る。 1844 「雨、蒸気、速度−グレート・ウェスタン鉄道」をロイヤル・アカデミーに出品。 1851 チェルシーにて死去
|
|
<国内で見られる主な絵画・所蔵品>
|
|
<ターナー関連の書籍> 参考文献 「テート・ギャラリー所蔵ターナー展」東京新聞発行 1997 「静岡県立美術館蔵品目録1986版」発行:静岡県立美術館 1986 「東京富士美術館所蔵 名品選集U 西洋絵画」発行:東京富士美術館 1991 |
||||||||||||||||||||||||||||||