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年代
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フランス国内の社会情勢
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周辺ヨーロッパ諸国の情勢
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1802
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国民の強い支持を背景に、ナポレオンは執政を終身制に
人気と権力を持った者は無理なことを考えるけど、その無理もあっさり受け入れられたりするわけです。いつの時代でも…。
レジョン・ドヌール勲章の制定
勲章はオモチャみたいなものでも、やっぱり名誉・栄誉欲から大人も時には心惹かれることをうまく活用するために
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1803
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英国と交戦状態に
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英国によるナポレオン暗殺計画失敗
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1804
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新憲法発布。正式に皇帝ナポレオン1世となる。戴冠式。ジョセフィーヌの戴冠として有名だが、ジョセフィーフは09年には離婚される。
国民は安定を望む。それは強い政権とイコールと考えられやすい。よって革命によって得た民主主義は知らず知らずの間に軍事独裁政権下に。ベートーヴェンは交響曲「英雄」を作り上げていたが、ナポレオンの別の顔に期待は裏切られる。
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英国本土上陸作戦を目指す
トラファルガーの海戦で英国に破れ、制海権奪取ならず
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英国、フランスの作戦をくじく。
地中海の西端、スペインとモロッコ沖でフランス帝国軍とトラファルガーの海戦と勝利
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1805
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ウィーン侵攻で圧勝
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ロシア・オーストリア軍、ウィーン侵攻を止められず敗退
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1806
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国外戦闘での勝利を続ける
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西南ドイツ、フランス帝国支配下に。プロシア軍も敗れ、ベルリン陥落
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1807
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ヨーロッパの大部分がフランス帝国支配下に(オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツ、ポーランドに支配者を配置)
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ロシア軍も2度敗退
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1808
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英国を経済的に倒そうと大陸封鎖(他ヨーロッパ諸国に英国との貿易・通商を禁止)を行う
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密貿易が行われる
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大陸封鎖に従わないポルトガル制圧へ向かう。
スペイン王国の内紛を利用してスペインも制圧。ナポレオンは実兄を王として配置。
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スペインの抵抗に、やがて帝国軍は消耗していく。
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スペイン民衆の反抗。自らの命を犠牲にしての徹底したゲリラ戦が始まる。
長い民族的抵抗が始まる。その一部始終を体制側の立場にあったゴヤが戦争画を克明に描く。
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1810
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オーストリア帝室より皇女マリー・ルイズを迎えナポレオン1世結婚。同年、愛人マリー・ヴァレウスカも男子出産。翌年、ルイズが男子出産。ローマ王と呼ばれる。革命の申し子も政略結婚やその名称など懐古趣味・保守化が進んだ証明ともいわれる
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1812
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約60万という「大陸軍(混声舞台)」でロシア遠征。
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ロシア軍も積極的な戦闘はせず、橋などを壊しながら退却する持久戦に出る
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ロシアの象徴でもあるモスクワ入場を果たす。しかし、ロシアの戦術により郊外へ退去。
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ロシア自らによる焦土戦術。ナポレオン1世が入場したモスクワの街に自ら火をつけ炎上させる。
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講和にならず、退却する。しかし、装備が手薄だったため、冬の厳しさに大陸軍は退却しつつも飢えと病で多くの兵を失う。
この時いつもの冴えがナポレオンになかったというが、敗れた時にはその後、全てが否定されやすいものである
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ナポレオンがモスクワの街を焼いたとして、国民の反感・団結が強まる
こうした手法は、よく用いられる。国家は経済ではなく、民族である限り反発心は当然である
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1813
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決戦で敗れ、フランス軍退却
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ロシア、オーストリア、プロシア連合軍は、ライプツッヒの決戦で戦略勝ち。
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1814
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皇妃マリー・ルイズ、ローマ王とともにパリ逃亡。
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英国もイベリア半島からピレネー越えを。
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パリで降伏
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連合軍、パリ攻撃
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退位書に署名。服毒自殺を図るも未遂となり、次なる運命を感じることに。
こうした運命論は、確固とした思い込みと信念を作り、次を動かすものである
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臨時政府を設立。ナポレオンの廃位を宣言。
無理やりの力で得たものは、結局他の力で全てを失うのが常ですな。
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エルバ島へ流刑。
皇帝称号を許され、年金の支給、島の統治など緩やかな処置。
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ルイ18世による王政復古。
亡命貴族たちの帰国と保守化。
敗戦国としての平和に、ナポレオンをなつかしむ声が早々に聞こえ出す
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1815
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ナポレオン、エルバ島脱出。
兵1,000名を連れてフランス東南端に上陸。ほとんど抵抗を受けず、軍はナポレオンにつぎつぎとつく。
流血、発砲もなくパリ入場を果たし、再度フランスに君臨。
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ルイ18世、ナポレオンの報を知り、ベルギーに亡命。
再度、ヨーロッパ諸国で対フランス同盟が結ばれる
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ワーテルローの戦い、激戦も敗れる。
ナポレオンは国民総動員で闘いを考えるが、議会勢力やヨーロッパ連合勢力が抵抗。
皇帝再び退位(100日皇位)
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ワーテルローの激戦を制す。
ナポレオンのアメリカ亡命を英国が阻止。セントへレナ島へ流刑にする。
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1821
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ナポレオン、セントへレナ島で死す(51歳)
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英国の好意でナポレオンの遺体は祖国へ戻る(1840)
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