産業革命をテイク・オフさせたイギリスは、その技術で制海権を握り、世界No1の工業国として活発にヨーロッパ大陸との貿易を行っていた。しかし、フランスにナポレオンが現れた頃より、イギリスは激動期を迎えることとなる。
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年代
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英国内の社会情勢
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1793
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ルイ16世を処刑したフランス政府が宣戦布告。同じく宣戦布告されたオランダ、スペイン、イタリアとともに第一次対仏同盟を結成する。
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1804
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フランスのナポレオンの勢力拡大とともに、ロシア、オーストリアと対仏同盟を結ぶ
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トラファルガーの海戦。帆走戦艦時代の最後の大規模海戦。ここでネルソン提督が型破りの戦術に出る。それまでは敵艦隊と並行して砲火を交えて戦うのが普通であったが、ここでは縦陣をとって敵艦隊の横に突っ込む作戦をとる。これが効をそうして、イギリス軍が完勝。
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しかし、ネルソン提督は、胸に4つの勲章をつけ、将官の服装をしたまま(回りはいさめようとしていたのだが)指揮をとっていたため、フランスの狙撃兵に撃たれ、甲板下の狭い治療室で死去。
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1806
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フランスのナポレオンは地上戦においては、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツ、ポーランドに連戦連勝。英国内でのナポレオンの驚異は更に高まる
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1807−08
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ナポレオンは、トラファルガーの戦いに敗れたことで英国本土の上陸作戦はあきらめていたが、そのかわりに大陸封鎖を実施。英国は他国と貿易ができなくなり、経済的な打撃を受ける。特に穀物や工業原料をヨーロッパ大陸から輸入していたため、深刻な状態となる。
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1808
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イギリスと経済的に深い関係をもっていたポルトガルはナポレオンの大陸封鎖にも反発。ナポレオンの侵攻に対するレジスタントの抵抗。(ナポレオンと戦争画のゴヤを参照)。イギリスは、ポルトガルに武器を送り、レジスタントを援助。
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1810−11
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経済的な危機状態となる
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(ナポレオンはロシア侵攻に失敗した後、ロシア、プロシア、オーストリア連合軍にライプツィッヒの決戦で破れる)
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1814
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ショーモン条約をロシア、プロシア、オーストリアと結びパリを攻撃。ナポレオンは退位。
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ヨーロッパ諸国は、ウィーン会議で、新体制を話し合うが、利害関係が噛み合わず足踏みをつづける
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1815
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ナポレオンがエルバ島脱出の報告が入り、再度、対仏同盟を結成。ワーテルローの戦いでナポレオンを破る
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ウィーン体制時代に。
ヨーロッパ諸国とイギリスは若干の対立はあっても、農業と工業の国際分業の関係ができあがっていたため、平和的共存の関係で進む。
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1819
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選挙法改正に集まった民衆数万人を政府が弾圧し、死者や負傷者が多数でる
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既に進出を果たしていたインドに続き、シンガポールにも進出する。
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1830
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フランスの7月革命の影響もあり、選挙法改正の運動もさらに高まる。それは、イギリスの選挙制度が中世末のままであり、どこの国も、その後経験するような、議員の世襲、売買があり、また地主たちにあった選挙権も実質的には指名選挙的あったという背景がある。
また、当時は産業革命の影響もあり、人の移動が激しくあり、そのため田園化している過去の都市から多くの議員が選出され、新興大都市からは議員が選出されないなどの不合理が生じていた。こうした状態に怒ったのが、新興の資本家や労働者たちである。
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1831
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これまで選挙法改正を弾圧してきた保守的なトーリー党にかわり、自由主義的なホィッグ党が躍進。
選挙法改正案を出すが、下院で通貨するが貴族的な上院では否決され、ホイッグ党のグレー内閣が辞職した。保守的なトーリー党が組閣をしようとするが、民衆が反発し、革命前夜的な混乱に陥る。
トーリー党も内乱を避けるため、組閣を断念し、再度ホイッグ党が組閣に。
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1832
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選挙法改正なる。これにより選挙権所有者は43万人⇒65万人に拡大。選挙区も人口に比例するようになる
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1833
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イギリス所有の植民地の奴隷制度が廃止される
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政治運動とともに、労働者の過酷な現実も問題となり、工場法も成立していく。いかに過酷かといえば、ある紡績工場務めの女性は、6歳で働きはじめ、朝5時〜夜9時まで働くことが半年も続き、13歳位から体の奇形が始まった人もいるという。日本の女工哀史(野麦峠での話ではないが)的なものがイギリスやフランスでもあったわけである。ただし、こうした深刻な労働運動に取り組んだ、良心的な資本家ロバート・オーウェンなど(自ら工場を経営しても、その環境と設備に注力し、幼稚園などを設立して教育にも力をいれた)もでてきている。
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選挙法改正も大衆には、ほとんど報いるものがなかったために、チャーティスト(憲章派)という運動がはじまる。
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1838
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運動の盛り上がりとともに、「人民憲章(ピープルズ・チャーター)」の綱領が作られる。その内容は、男子普通選挙、平等選挙区制、無記名投票、披選挙資格から財産条件を除く、歳費制、議会の毎年の改選。こうした普通選挙制の実現には、まだ半世紀ばかりかかってしまうのだが…。
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ウィリアム4世が前年に死去し、王位継承権が女性のビクトリアにまわってくる。戴冠式を行い、彼女は18歳にして国王となる。もちろん、まだ独身のまま。
イギリスの30年代は、まさに<鉄道と蒸気船の時代>鉄、石炭の産出量は1810年代の3倍に。
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